【第657回】『偉大なるマルグリット』( グザヴィエ・ジャノリ/2015)


 1920年9月フランス、貴族の屋敷に向け、聴衆たちが連れ立って歩く中をアゼル・クラン(クリスタ・テレ)は足早に歩いていた。大きな門の前にある受付で彼女は、男爵夫人の前座で歌を歌うものですと受付係に話しかける。やがて彼女を迎えに来たのはデュモン家の執事であるマデルボス(ドゥニ・ムプンガ)だった。彼はアゼルの粗末な靴を見て、ステージではその靴を履き替えて下さいとお願いする。マルグリット・デュモン男爵夫人(カトリーヌ・フロ)の邸宅で開かれる「アマデウス・クラブ」という名の慈善イベントでは、第一次世界大戦の戦争孤児のために寄付を募っていた。さながらそこでは上流貴族たちの最後のリサイタルが繰り広げられていた。貴族たちが大勢招待されるその日の社交界には、大手新聞記者で辛口の左翼のリュシアン・ボーモン(シルヴァン・デュエード)も紛れ込んでいた。彼はブルジョワジーの豪邸を好奇な目で見つめているが、前座のステージに現れたアゼル・クランの姿に心奪われる。彼女のステージが大成功した後、次は本日の主役であるマルグリットの番だが、夫のジョルジュ・デュモン(アンドレ・マルコン)がまだ帰って来ていない。妻マルグリットは何度もマデルボスに夫は帰って来たか聞くが、執事の返事は冴えない。やがて主役のマルグリットが招待客たちの前に登場し、『夜の女王のアリア』を歌いだしたところ、聴衆はその歌声に唖然とする。彼女は絶句するほどの音痴だった。

 夫のジョルジュはステージが終わった頃に、気まずそうに顔を出す。彼の愛車はしばしばエンストするが、ジョルジュは一向に直そうとはしない。彼は妻が歌を歌い出す頃になると、決まって居留守を決め込む。夫は妻の音痴に真っ先に気付いており、寄付金目当ての貴族たちが妻の歌声を聴いて、半ばせせら笑うのを恥じている。彼は代々貴族の家柄だった世間知らずなマルグリット夫人の家に婿養子で入ることで、貴族の地位を手に入れた。彼は一見、浮世離れした妻マルグリットの趣味を受け入れているように見えるが、その実、妻の歌手願望が世間体を気にする夫には受け入れ難い。家庭での不平不満を彼は、あろうことか妻の友人であるフランソワーズとの不倫で埋めている。彼女とのピロー・トークの話題は専ら彼女の妻がどうして歌に執着するかだった。裕福な人物にはロクでもない人間たちが群がるというが、マルグリット夫人の周りに集まる人物も心底ロクでもない人物ばかりである。夫のジョルジュを筆頭にして、家柄は貧しいが野心と才能を持ったアゼル・クラン、自らの小説のタニマチを探していたリュシアン・ボーモン、そしてかつては人気の歌手だったが、今は集客力が落ち、汚れ仕事もこなす歌手アトス・ペッジーニ(ミシェル・フォー)らが自らの生活のためにマルグリットに取り入ろうとする。反吐が出るほど音痴な彼女の歌に熱狂したフリをし、誰も自分の本音を彼女に告げようとしない。

 今作は音楽的才能に全く恵まれなかったにも関わらず、その堂々として型破りな歌いっぶりで大人気を博した、アメリカのソプラノ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルにしている。彼女の歌は一音たりともメロディに追随せず、譜面度外視で歌われるにもかかわらず、何故か彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。リュシアン・ボーモンは当初、彼女の歌声に好奇の目を示すが、やがて彼女の純粋な少女のような思いに魅了される。そればかりか彼女に決して本心を言えなかった人間たちは、ステージでリサイタルをやりたいマルグリットの乙女心を前に自らの邪悪さを合わせ鏡のように突きつけられる。果たして今作のマルグリットは本当に自らの音痴さに気付いていなかったのだろうか?彼女の音楽活動は、愛する夫ジョルジュの目を引くための最後の手段だったように思えてならない。裕福な家庭に育ち、少しネジの外れた大人に見える彼女の言動や行動は、歌を通してしか女としての魅力をアピール出来なかった。彼女自身はその天才と狂気の境目を持ち前の純粋さで駆け抜けてゆく。第三者の好奇や欲望の目に対し、マルグリット・デュモンが倒れる前のほんの一瞬放った奇跡の美しい歌声こそがマルグリットの本質を据えるが、皮肉にもその後の彼女には残酷な運命が訪れる。少女のような瞳で夫の愛を求めていたヒロインに訪れた後味の悪いクライマックスにしばし絶句しつつも、天才と狂気の間を往来したマルグリットの人間力に心打たれる。

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