【第778回】『ハイ・ライズ』(ベン・ウィートリー/2015)


 庭先でクラシックのレコードに針を落とし、男の1日は始まる。薄汚れた顔に乱れた着衣、廊下の配管はぶっ壊れ、電気も付かない。大学の生理学部で教鞭を取るロバート・ラング教授(トム・ヒドルストン)は40階建ての高層ビルでの生活を謳歌している。ラングの奇妙な独白の後、丸焼けになった犬の脚をゆっくりと回す男の姿は明らかに常軌を逸している。今から3ヶ月前、ロバート・ラング教授はロンドンの郊外に立つ40階立てのデザイナーズ・マンションに越して来る。70年代のモダン建築の頂点を極めたこのマンションには30階にあるジムとスパ、更にスーパー・マーケットまで完備され、生活の全てがこの環境で賄える設計になっている。段ボールを開けることなく、男は全裸でベランダに横たわるが、上の階である26階からグラスが落ちて来る。ラングはびっくりして上を見上げると、シャーロット・メルヴィル(シエナ・ミラー)は申し訳なさそうに謝罪する。彼女の隣にいるのは夫ではなく、3階に住むドキュメンタリー監督のリチャード・ワイルダー(ルーク・エヴァンス)である。彼には身重の妻のヘレン(エリザベス・モス)がいるにも関わらず、シャーロットを必死で口説き落とそうとしている。大学の研究室、精神病患者の脳を解剖した時、教え子で39階に住むマンロー(オーガスタス・プリュー)はえぐれた人間の臓器に卒倒して倒れる。

 本作は96年にデヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化された「クラッシュ」、「コンクリート・アイランド」に連なるJ・G・バラードのいわゆる「テクノロジー三部作」の最終作に違いない。自らの自伝的小説である『太陽の帝国』がスピルバーグによって映画化されたJ・G・バラードの小説は、シュルレアリスムやディストピアの要素が強く滲む。独身貴族で、自由を謳歌するロバート・ラング教授は最愛の姉の死を契機に、このマンションへ越して来る。孤独なセレブは自分より低層階の住人たちによって夜な夜な繰り広げられるパーティに顔を出すが、やがてマンションの経営者であるアンソニー・ロイヤル(ジェレミー・アイアンズ)の狂気じみたグランド・コンセプトが露わになる。予告編を観て楽しみにしていた人々は肩透かしを食らうような入り組んで難解な物語構造だが、実はJ・G・バラードの小説の朧げな世界観を忠実に再現している。低層階から高層階へ所得のレイヤーによりあらかじめ決められた権力構造は、理想を追求するものの、やがて高層階のエリートたちに虐げられた低所得者たちの不満が爆発する。中盤以降、唐突に繰り広げられる低所得者層の反乱、酒池肉林の地獄絵図、覗き見趣味の内向的なトビー(ルイス・サック)の万華鏡のような錯乱した眼がこのマンションの住人たちの歪んだ構図を見つめている。矢継ぎ早なショットの快楽や構図は素晴らしいのだが、ややもすれば監督であるベン・ウィートリーが観客の物語世界への没入を拒否している。切り取られた映像の端正さに比べ、説話的快楽が圧倒的に足りないのである。ヒエラルキー崩壊後、トビーが聴くマーガレット・サッチャーの演説は、Brexit後の大英帝国の未来を痛烈に風刺している。

【第698回】『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』(ヘンリー・ジュースト/アリエル・シュルマン/2016)

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