【第734回】『恋人たちの予感』(ロブ・ライナー/1989)


 1977年シカゴ大学、冬から春の訪れを感じさせる卒業の季節。ニューヨークに所用のあるサリー・オルブライト(メグ・ライアン)は親友の恋人ハリー・バーンズ(ビリー・クリスタル)を乗せて、18時間の旅行に出る約束だった。Louis Armstrong and Ella Fitzgeraldの『Our Love Is Here To Stay』(大名曲)が軽快に流れる中、待ち合わせ時間定刻にエントランスに着いたサリーは親友と恋人との濃厚なキスの現場に鉢合わせとなる。少し待っていたものの、永遠に口づけが終わらないと察したサリーは軽い咳払いをし、それでも止まらないとわかるとクラクションを鳴らす。後ろに荷物を乗せる間も、2人の別れを惜しんでのキスに苛立つサリーはクラクションを何度も鳴らし、不機嫌な表情を見せる。シカゴからニューヨークまでは順調に行って約18時間、3時間毎に運転を交代する手筈を説明する運転席のサリーを尻目に、ハリーは大粒のブドウを握りしめ、突然食べ始める。窓ガラスにタネを飛ばす傍若無人なハリーの姿を見て、腹をたてる2人の最初の出会いは間違いなく最低最悪だった。せっかくブドウを勧めたにも関わらず、私は間食はしない主義だからとサリーに突っ撥ねられ、2人は『カサブランカ』のハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンでもことごとく意見が食い違う。ニューヨーク市マンハッタン区ロウアー・イースト・サイドにあるカッツ・デリカテッセンに入る時、ハリーはサリーに対し、「君はいいSEXを知らないんだ」と捨て台詞を残す。こうして話の合わない2人は、「良い人生を」「君もね」というユダヤ人らしい痛烈な皮肉の言葉を残し、別れるのだった。

 それから5年後、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港。出張の見送りに来てくれた恋人ジョンと長いキスを交わしているサリーのもとにハリーが姿を現わした。シカゴ大学の卒業式の時とはまったく真逆の運命の再会である。サリーは大学を卒業した後、ニューヨークでジャーナリストとしての活動をスタートさせ、弁護士の恋人ジョンとも順調な交際を続けていた。一方のハリーはジョンと同じ弁護士となり、フィアンセとの結婚を間近に控えていた。2人の運命の歯車が再び回り出すのはそれから5年後の出来事である。綺麗なブロンド、大きな目、チャーミングな笑顔で他の男たちの目線を釘付けにするような可憐さを誇るが、とにかく喜怒哀楽の落差が激しい直情型のサリーと、皮肉屋でどこか冷めているハリーとは最初からことごとく意見が食い違う。レストランで店員が楽な日替わり定食を注文したハリーに対し、食事の並びにまで注文をつけるサリー。君はSEXに満たされていないんだと言う今だったら完全にセクハラ発言に突如怒り狂うサリーは「楽しいSEXをしてるわ」と絶叫し、10年後の再会の場面でもしたり顔で自らのオーガズムの時の声を演じる(当時はこの場面がやたら印象に残ったが、今観ると少々やりすぎだと思えなくもない 笑)。初めての出会いの時、男女の間には友情なんて存在しないと言い放った2人は、この時点でサリーは羞恥心の檻から外れ、ハリーを一人の友人としてしか見ていない。互いの親友同士であるジェス(ブルーノ・カービー)とマリー(キャリー・フィッシャー)と4人で食事をした時、皮肉にも2人は呆気なく恋仲となり、2人も互いを意識し始める。

 同じようにベッドに横になりながら、ブラウン管テレビで『カサブランカ』を一緒に観る2人の分割画面が今尚ユニークな魅力を放つ。失意のどん底にあった彼女を慰めたことによる突発的な情事の後、サリーの頭には急に被害者意識が頭を擡げ始める。そして彼らが親友同士であるジェスとマリーに電話をかける場面では、画面が唐突に3分割になる。後に『アダムス・ファミリー』シリーズや『メン・イン・ブラック』シリーズを手がけることになるバリー・ソネンフェルドの軽妙なアイデアが華を添える。映画はSEXについて明からさまな言説を避けて来たユダヤ教的な厳格な恋愛観(登場人物たちが皆ユダヤ訛り)に対する主人公メグ・ライアンの強烈なアンチテーゼを叫ぶエポック・メイキングな作品である。今作は女性の立場が向上し、男性の草食化が少しずつ顕在化し始めた89年のメルクマーク足り得る作品である。70年代にアメリカの若者たちがヴェトナム戦争に傷つき、「家に帰りたい」と呟いた時代であり、レーガン政権が提唱した保守化政策「レーガノミクス」の失敗とも無縁ではない。90年代中期のインターネットの普及まではまだ時間がかかるが、50~60年代の理想的な家族関係が崩壊し、デジタルとアナログ、現実世界とバーチャルとが急速に溶け合い、男性たちは見る見るうちに草食化した。今作のハリー・バーンズも77年の最初の出会いの場面では、ブドウの種を勢い良く飛ばすような無作法で不快極まりない男なのだが、その12年後の89年にはサリーとハリーの立場がまるで逆転しているという事実に今更ながら驚いた。

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