【第754回】『ロスト・リバー』(ライアン・ゴズリング/2014)


 ロスト・リバーと呼ばれる架空の街、木製の家のドアが開き、わんぱく盛りの幼子が手すりに掴まりながら、6段の木の階段をゆっくりと降りる。「取ってこないと食べられちゃう」幼子はそう言いながら、家の前に広がる草むらを勢い良く駆ける。JOHNNY JEWEL作曲、シアーシャ・ローナン が歌う『TELL ME』が流れる中、牧歌的な家族の風景は幸福に満ち溢れている。ベッドの上でじゃれ合う兄貴ボーンズ(イアン・デ・カーステッカー)と少し年の離れた弟。自動車修理をしながら生計を立てる息子の姿を2階から見つめる母ビリー(クリスティナ・ヘンドリックス)の視線。その隣には洗濯物を干している幼馴染のラット(シアーシャ・ローナン)がいる。弟に向かい、「モンスターは僕が倒すからね」と呟く兄貴の姿は父親のいない家族の大黒柱として実に頼もしく思える。だがアヴァン・タイトルが終わる頃、街そのものが危機に瀕し、一家は一瞬にして路頭に迷う。経済破綻によって、住人たちがほとんど去ってしまったゴーストタウンのロスト・リバーは荒廃し、ギャングのブリー(マット・スミス)が跋扈し、独裁者として振る舞う。廃墟となった住居で僅かばかりの銅を盗むボーンズの生活は苦しく、ローンを3ヶ月滞納している母ビリーは銀行の支店長デイヴ(ベン・メンデルソーン)にすがり、秘密の夜のバイトを指南される。

 ライアン・ゴズリングの記念すべき監督第1作。今作を成功に導くためにゴズリングは数々の主演映画のオファーを断り、完璧な作品世界を目指す。「すべての子どもに教育を」という荘厳な言葉が掲げられた街は、デトロイトのようなゴースト・タウンと化し、財政の破綻した街からは人々の笑い声が消えて行く。今日、街を出て行く老人から聞かされたのは、アメリカン・ポップスに彩られた60年代の幸せだったあの頃の原風景に他ならない。ディストピアとなった街にはやがて暴力で従わせようとする輩が現れ、全ての富(銅資源)を強引に搾取しようとする。主人公ボーンズは抑圧だらけのこの街で何とか生きていこうとするが、今度は母親であるビリーにも独裁者の欲望の罠が迫る。デヴィッド・リンチの映画にしばしば出て来る夜のハイウェイ、自動車修理、燃え盛るあばら家などの幾多の夢遊病のような悪夢のイメージの数々は、実はロバート・アルドリッチ監督の傑作フィルム・ノワール『キッスで殺せ!』へのリンチなりのオマージュだと言っていい。今作のイメージの引用は原典である『キッスで殺せ!』を素通りし、ひたすらデヴィッド・リンチの悪夢的世界を模倣・反復する。昼と夜でまるで様変わりする街の景色は、現代人の心に潜むサド・マゾ願望をも露わにし、性愛玩具となり、身動きの取れないブリーの前で、デイヴは奇怪な笑みを浮かべながら、怪しげなダンスを繰り広げるのである。

 夜の静けさの中に不気味に光るガソリン・スタンド。仄かに芽生えた幼馴染同士のボーイミーツガールなロマンスに突如、邪魔が入る。彼女はボーンズを危機から救うために、自ら進んで権力者の罠へと落ちて行く。ラットとブリーに訪れる悲劇をクロス・カッティングで描いた中盤の演出が心底不快極まりない。ギャスパー・ノエの『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』やハーモニー・コリン『スプリング・ブレイカーズ』の撮影監督として知られる「夜間撮影の達人」であるブノワ・デビエの起用は、監督としての経験値の少ないライアン・ゴズリングにとって心強い味方となる。クライマックスの湖面に浮かぶ3つの街灯の明かりのアイデア、フィルム全体の色調と色味、師匠のニコラス・ウィンディング・レフンを彷彿とさせるようなカラフルな色彩描写が素晴らしい。音楽もChromaticsの『Yes』を筆頭に、Glass Candyの『Shell Game』、Disireの『Behind The Mask』などItalians Do It Better人脈が花を添える。デヴィッド・ロバート・ミッチェルの『イット・フォローズ』やジョン・カーペンターの80年代作品が好きな人ならば今作のサウンドはその延長線上にある。昼と夜、光と影、日常と狂気、抑圧と解放を併せ持つ世界観は、アメリカの光と闇とを見事に暗喩する。多分にアート映画的なスタンスは評価の分かれるところだが、ライアン・ゴズリングの箱庭的世界観やルーツは今作において見事に表現されている。

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