【第750回】『ブルーバレンタイン』(デレク・シアンフランス/2010)


 メーガンという名の犬を呼ぶ声が辺りに響く。誰もいない草むら、早朝から愛犬の不在を心配そうに見つめるフランキー(フェイス・ワディッカ)は父親のディーン・ペレイラ(ライアン・ゴズリング)を起こしに向かう。首を絞められた父親は鬱陶しそうな表情を浮かべながら、Tシャツ姿でフランキーを抱きかかえる。その口元には煙草。犬小屋にいるかもしれないという父親の言葉にフランキーは応え、大きな犬小屋に潜り込むがメーガンはいない。やがて母親シンディ・ヘラー(ミシェル・ウィリアムズ)を起こしに来たフランキーは無理矢理叩き起こす。朝食の席、レーズンパンのレーズンをテーブルに並べ、ヒョウのように口で食べる2人の姿にシンディは怒る。一見何の変哲も無い幸せそうな核家族の光景に見えるが、キング・サイズのベッドで寝るシンディと、1人用の手狭なソファーに足を出して眠るディーンの距離感、そして家族を捨てて出て行く犬が今作の予兆として立ち現れる見事な導入部分である。高校時代に医者を目指し、勉学に励んでいたシンディは子供を身篭ったことで一度は医師への道を諦める。だが一人娘のフランキーを生んでから、猛勉強の末、看護師の資格を取得し、生活の基盤を持つ。

 一方のディーン・ペレイラは高校を中退した後、引越し屋の仕事をしながらシンディにプロポーズし、フランキーの父親となる。だが彼は一切の定職に就かず、朝8時からビールを飲み、ペンキ屋のバイトで糊口を凌ぐ。夫婦の稼ぎは逆転し、核家族でも3人の暮らしぶりは苦しいが、ディーンは一家の大黒柱としての責任よりも、笑いの絶えない家庭を作ろうと躍起になる。娘に対し、子煩悩な姿を見せるディーンに対してシンディも不満はない。ただ出会った頃は、ウクレレを爪弾き、器用に絵も描いた自由人の夫が三十路を過ぎても何一つ大成しないことに苛立つ。夫婦の基本構造は心底ポジティブで根アカな夫のディーンに対し、出会った頃からとにかくマイナス思考でネガティブな妻シンディを対比させ描く。家庭環境が悪く、愛に飢えていた2人はまるで方位磁針のS極とN極のように互いに惹かれあい、ゴール・インする。結婚から7年、今やすっかりオヤジに成り果てたライアン・ゴズリングの老けメイクに最初は唖然とした。前髪が後退し、剥き出しになったデコ、妙なサングラス、変な刺繍のトレーナーの3点セットでコーディネートする夫がいれば、さすがに妻が愛想尽かすのも無理もない。しかし妻も妻で決して良い妻で母親でなかった事実が次第に明らかにされる中、7年間の結婚生活が破綻しかけた2人は互いを傷つけ合うことでしか夫婦の溝を埋められなくなる。

 映画は物語の現在場面と回想場面に35mmと16mmのカメラを使用し、固定カメラと手持ちカメラの対比も実に巧みである。10代の頃からネガティブだった少女の病巣に寄り添った男は元カレであるボビー・オンタリオ(マイク・ヴォーゲル)から見事にシンディを奪うのだが、その愛に終止符を打つのもボビーの残像に他ならない。そもそも映画における夫婦の関係性は最初から破綻しているのだが、夫婦の亀裂のきっかけに監督は意地悪にも元カレを持って来る。メーガンの悲惨な末路というあまりにも残酷な予兆の後、「未来ルーム」を予約した2人には皮肉にも明るい未来などない。あえて幸せだった若気の至りの頃と修復不能になった現代の関係性とを対比して描くクライマックスは残酷で容赦ない。夫婦それぞれの言い分あるにせよ、両者の板挟みになる少女フランキーがただただ不憫でならない。父になれなかったディーンは最初から去勢された男として家族の周りを漂い、一方の妻もこの世のどこにも居場所など見つけられない(芯が見当たらない)。ボビーに殴られたディーンのように、今度はディーンに殴られた医師が母娘を幸せに導く救世主のように見えるが、映画ではその後は明らかにされない。上手く行っているカップルや夫婦にはまったくの蛇足と言える作品だが、脛に傷持つ人々にとってこれ程までに胸打つ物語もないだろう 笑。ミシェル・ウィリアムズのさり気ない熱演は云うまでもないが、ライアン・ゴズリングは今作の演技でもう一段高いレベルに到達した印象を受けた。

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