【第753回】『きみに読む物語』(ニック・カサヴェテス/2002)


 オレンジ色に輝く夕陽、橙に染まる海を窓越しに見つめる女(ジーナ・ローランズ)がいる。彼女の目線の先には、ボートを漕いで去って行く1人の男のシルエットが見える。白鳥の群れがフレームを横切り、男のオールを漕ぐ手はいつまでもゆっくりと進む。女はその光景をただ黙ったまま見つめている。やがて職員が現れ、読み聞かせの名人デューク(ジェームズ・ガーナー)が現れる。女は認知症を患い、5分前に聞いたことがすぐに思い出せなくなる。女は最初デュークの誘いを断るが、やがてデュークの言葉に耳を傾ける。1940年、ノース・カロライナ州シーブルック。材木工場で働く地元の青年ノア(ライアン・ゴズリング)は17歳のアリー・ハミルトン(レイチェル・マクアダムス)を見て一瞬で恋に落ちる。彼女は毎年夏だけ避暑地にやって来る良家のお嬢様だった。当初からノアは猛烈にアタックするが、アリーはなかなか心を開いてくれない。踊りの誘いを断り、男友達と観覧車に乗るアリーに対し、ノアは危険なスタントを試みる。友人フィン(ケヴィン・コナリー)のカップルと一緒に観た『リル・アブナー』は真っ先に『ラ・ラ・ランド』の『理由なき反抗』を連想させる。(男と女の座り位置までもよく似ている。)その夜、急に互いの距離が縮まった2人は互いの将来について話し合う。親の決めてくれたレール通りに進もうとするアリーに対し、「キミが本当にやりたいことは何か?」とノアは問うのだった。

 片やノース・カロライナの田舎の材木屋の息子に生まれた貧しい男と、大都会ニューヨークに豪邸を構える裕福な女とは価値観も思想も教養も何から何まで全て違う。だがアリーの心を動かしたのは、ノアの「キミが本当にやりたいことは何か?」という言葉だった。車の往来の少ない道路に寝そべるノアは、彼女にも隣で危険な遊びをしてみないかと声を掛ける。豊かな暮らしを享受して来たヒロインには、ノアのやんちゃな遊びが羨ましく思える。こうして始まった何もかも違う2人の一夏の淡い恋は、驚くほどに燃え上がって行く。互いの意識のズレからとにかくケンカの絶えない2人は、次の日にはすぐに仲直りし、またケンカがすぐに始まる。絵描きになりたいという夢をノアに語るヒロインの満ち足りた姿。ノアの父親フランク(サム・シェパード)は彼女を快く晩飯に誘うが、長机に並べられた豪勢な料理を平らげるアリーの父ジョン(デヴィッド・ソーントン)と母アン(ジョアン・アレン)はその場で明らかに浮いたボーイフレンドの値踏みをする。ノアが時給40セントですが、ほとんどは貯金に回していますと語った時のアリーの両親の絶望的な表情が忘れられない。付き合い始めた当初から、いずれニューヨークに帰り、サン・ローレンス大学に入るアリーの幸せな将来計画とノアの未来展望は最初から大きく食い違う。だが始まってしまった恋は誰にも堰き止めることなど出来ない。アリーの弾いたピアノのメロディをかき消すように後ろから彼女にハグしたノアの運命の恋は結ばれる寸前でフィンに阻まれる。夜中の2時まで連れ回した男を両親は肉体労働者と口汚く罵る。それから1年365日、ノアは来る日も来る日も欠かさずに手紙を書き続けたが、アリーから2度と返事が来ることはなかった。

 10代の若い恋は両親に阻まれ、1度は終わる。1940年にスタートした物語は例外なくドイツ軍との第二次世界大戦を挟み、戦争が2人の恋愛を引き裂いたようにも見えるが事実は未分不相応な恋の終わりに違いない。初めて観た時はアリーの母親であるアンが心底憎くて仕方なかったが 笑、今となっては彼女が自分の若かりし頃の体験を娘に聞かせる場面が実に印象深い。男女の機会均等などまだまだ先で、女性は男性の3歩下がったところで男を支えることが当たり前だった時代の結婚観は、21世紀の今とはまるで違う。自分の幸せよりも家族の幸せを最優先することが、戦前の女性には当たり前だったはずであり、アンはノアにのめり込んだアリーの姿が他人事とは思えず、デジャブのように心に深く突き刺さるのだ。すっかりオヤジに成り下がったかつての恋人を見ながら、夫は素敵な人と言い放つ母アンの姿が胸を打つ。野戦病院で瀕死の重傷を負った元兵士があれだけ回復するのは奇跡に近いと思いながらも 笑、ロン(ジェームズ・マースデン)もアリーの気持ちを尊重する素晴らしいフィアンセである。一方で傷ついたノアを献身的に支えるマーサ・ショウ(ジェミー・ブラウン)も素晴らしい人物なのだが、恋愛映画は文字通り、互いのエゴがパートナーを傷付けたとしても、2人は運命には抗えない。後半部分は直近の『ブルックリン』とも同工異曲の様相を呈す。ラスト15分のジーナ・ローランズの狂気の姿は『こわれゆく女』の再演にも見え、デュークを演じるジェームズ・ガーナーがもしもジョン・カサヴェテスだったらと思わずにはいられない。監督を務めた長男ニックには父親のような天才的な閃きはないものの、ノアとアリーの純愛の行方を丁寧に過不足なく描き切る。平凡な男はただ一人の女を愛し、ただひたすらに愛し続けた。『ラ・ラ・ランド』同様、2人の愛の行方に何度観ても涙が溢れる今作は、ライアン・ゴズリングの出世作としても知られている。

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