【第755回】『この世界の片隅に』(片渕須直/2016)


 冒頭、映画は1908年○月の出来事から始まる。広島市内の江波で暮らす浦野すず(のん)は温厚な両親十郎とキセノに育てられ、8歳を迎えている。すずには少し年の離れた厳しい兄の要一と、一歳下の年子で仲の良い妹すみがいる。ある日のこと忙しい要一に代わって、中島本町へ海苔を届けるために、母キセノに籠を背負わされている。十郎は広島市内で海苔問屋を営んでおり、幼い子供たちも両親の手伝いを当たり前のようにこなす。漫画原作では戦争がもうすぐそこまで迫る1919年から始まったが、映画はそこから遡ること11年前から始まる。幼馴染でガキ大将だった水原晢との出会い、3人兄弟と家族との関わり、そして幼い頃のすずを見初めた北條周作との初めての出会い(当然すずは後になってそのことを覚えていない)、ファンタジー色を強めた座敷わらしが西瓜を食べる場面などもある。監督が描こうとしているのは、広島の人々の平和だった頃の生活に他ならない。三叉路の中央に佇む松下商店の立派な門構え、寒い冬の季節の大正呉服店や大津屋商店の細かなディテールが、後にこの街に起きた悲劇をも最初から内包する。監督はあえて8歳の少女の頃から19歳までの浦野すずの成長を描くことによって、真に目を覆うべき戦争の足音が平和な生活を徐々に侵犯するまでを丁寧な筆致で描いている。

 今となってはまるで信じられないことだが、当時の結婚適齢期は女性で言えば20代前半(22~23歳)だった。自由恋愛もない時代の結婚はいわゆる「見合い婚」、または親同士の話し合いで結婚相手を決める「取り決め婚」が主流だった。浦野すずもこの時代の慣例として、親同士の話し合いで勝手に結婚相手が決められてしまう。お婆ちゃんの家に遊びに行っていたすずはまだ19歳だが、突然結婚の申し出の相手がすずの両親に直談判するのである。帰りの道中、すずは水原さんを見つけて一人テンションが上がる。この場面は当時のすずが水原さんを思っていたことの例証に違いない。男女同権ではない40年代は例え幼馴染でも水原晢を「晢」とは呼び捨てに出来ず、さん付けで呼ぶ他ない。すずのぬか喜びを知ってか知らずか、水原晢はムキになって兄の7回忌法要に行って来たんだと告げる。しかし彼は草原の真ん中で後ろを振り返りながら、すずへ満更でもない思いを匂わせるのである。原作は戦争そのものを描きながらも、浦野すずという市井の女の半生としても十分有効である。映画版も浦野すずから北條すずへと苗字が変わったすずの怒涛の10代~20代を描くが、ヒロインの声を担当したのんの背景のように、すずの人格を原作よりも少し引き下げている印象を受ける。それはおっちょこちょいでドジっ子でとろいすずと、周作の姉で何事もテキパキこなすモダン・ガール(モガ)の径子との対比にも見て取れる。脚が不自由な母親と技師として徹夜で働く父親は互いに嫁であるすずに優しく接するが、径子だけはすずにも容赦ない。しかしそんな義姉の娘である5歳である晴美は、性根の優しいすずに懐く。

 大人になりきれない子供なすずの心象は10円ハゲで暗喩される。晴美が径子に黒ペンをねだるのは、すずのストレスを幼い晴美が察しているからに違いない。事実2人は北條家において不思議な絆で結ばれている。絵を描くことが大好きなすずは、晴美の詳しい説明から戦艦大和や航空母艦の意味を知らされる。すずは広島市内から呉市へ嫁いだが、呉の街こそは戦艦大和が配備された軍港に他ならない。緩やかな斜面に作物が植えられた農地の下の海では、まさにアメリカ軍の攻撃を迎撃すべく3000人もの兵士を乗せた軍艦が配備される。映画はまさに日常と地続きなところに悲惨な戦争を置く。今作において印象的なのは、軍隊に赴任した北條周作や水原晢の軍内部での活動ではなく、専ら戦時下の女たちの地続きの日常を描いていることにある。実際に今作でもすずの妹すみは、未婚の女性として女子挺身隊で働かされるエピソードが出て来る。女子挺身隊の入隊条件は25歳未満の未婚の女性であり、すずや径子はこの条件に当て嵌まらない。すずの生活は戦地へ向かった周作を待つだけの生活であり、そこには燃え尽きる男たちの戦争とは対照的に、これからも地続きに繋がる確かな女たちの暮らしがある。浦野すずと北條すず、どちらにもなれなかった女はクライマックスで自分自身のこの世の片隅に生まれて来た意味を取り戻す。一番残酷な場面に立ち現れるシネカリグラフィーの手法はすずの心の中の残像に他ならない。クライマックスで現れた戦争孤児(残念ながら晴美ではない)の右側に周り込むすずの姿が何度観ても泣けて泣けて仕方ない。絶望の中で孤児の手を力強く握り締めたすずの左手に戦争の愚かさが集約される。

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