【第794回】『ネオン・デーモン』(ニコラス・ウィンディング・レフン/2016)


 冒頭、ソファーの左端に頭を乗せる人形のメイクをした少女は、首から血を流し死んでいる。右足はソファーからはみ出し地面に着き、血だらけの右手はダラリと垂れ下がる。この意味深長なショットの審美眼的な構図は、1944年に描かれたフランスの画家Balthusの「美しい日々」という絵に酷似している。彼女は全身血だらけで死んだような退廃的な表情をしているが、カメラが徐々に後退していくと、フォト・セッションの一環として撮影されたとわかる。つまりジェシー(エル・ファニング)は生きているのだが、ディーン(カール・グルスマン)の創作の中では既に死んでいる。美しい少女ジェシーはSNSで知り合ったばかりのアマチュア・カメラマンのサド・マゾ的な要請を引き受けながら、宣材写真の中に写る別の自分を発見する。売れないモデルとカメラマン同士のLAでの貧しい恋は、売れない女優とミュージシャンのLAでの恋を描いた『ラ・ラ・ランド』の裏拍子をひた走る。しかしニコラス・ウィンディング・レフンの念頭にあったのは、女優の夢を叶えるためにLAにやって来たデヴィッド・リンチ監督による2001年の『マルホランド・ドライブ』やその原典となったビリー・ワイルダーの1950年の『サンセット大通り』に違いない。

 美や老いへの恐怖から登場人物たちが徐々に狂い出す様子は、ジョン・カサヴェテスの1977年作『オープニング・ナイト』のジーナ・ローランズの妄執を思い起こさせる(ダーレン・アロノフスキーの『ブラック・スワン』は『オープニング・ナイト』への無邪気なオマージュであった)。だが密かに一番影響を受けたのは、マリオ・ヴァーヴァの『モデル連続殺人!』に違いない。赤を基調とした映画は全編血のイメージのオンパレードで、水辺の死まで酷似しているのである。だが今作の誕生は、セクシュアリティの可能性が拡張されるアクチュアルな2010年代にこそ必然的に産み落とされる。自称19歳の少女だが、実際は16歳の少女ジェシーが次々に夢を叶えていく過程で、彼女とそれ以外に分けられてしまった境界線上の悲哀が浮かび上がる。女社長のロバータ・ホフマン(クリスティナ・ヘンドリックス)に輝きを認められた女は、ネオン・デーモンのような圧倒的な美しさを讃えながら、その太陽のような存在感を、3人の魔女に引き裂かれて行く。何度も顕在化する三角錐型のネオンをモチーフにしたピラミッドは、少女への3人の魔女の侵犯のメタファーに他ならない。下着で隠され、それ以外の部分は全て剥き出しにされたモデルたちがジャック(デズモンド・ハリントン)やロバート(アレッハンドロ・ニヴォラ)のキュレートを受ける場面の残酷さは息を呑む。

 その恵まれたシンデレラ・ストーリーの過程において、薄汚いMOTEL(スペルにエル・ファニングのELが見られる)に住むジョージアからアメリカン・ドリームを追って来た女はハンク(キアヌ・リーヴス)の欲望の犠牲者になりかける。睡眠中のヒロインに口に入れられたナイフは、去勢された男根のメタファーとして機能する。恐るべき危機察知能力で危険を回避したヒロインは、214号室の13歳の悲鳴を聞きながら、魔女の元へと惹きつけられるように潜り込む。全身整形でコントロール不全に陥っているジジ(ベラ・ヒースコート)や、ガラスで手のひらを切り裂いたヒロインの左手の鮮血を舐め尽くすサラ(アビー・リー)も魅力的だが、冒頭場面で鏡に写るヒロインを鏡越しに見つめていたルビー(ジェナ・マローン)の怪演が圧倒的に素晴らしい。彼女はあのロバート・ゼメキスの1997年の『コンタクト』において、ジョディ・フォスターの幼少期を演じた名子役に違いない。昼間はメイクアップ・アーティストとして、夜は死化粧師として生計を立てる彼女の隠された欲望が露わになるのは、ディーンが指差した満月の夜のワイルド・キャットの侵入からである。月=目が同一視される眼球幻想の物語は、フェティシズム、サディズム、レズビアニズム、ネクロフィリア、カニバリズムのモチーフを一通り開陳しながら、心底陰惨な結末へ突き進む。その圧倒的なヴィジュアル・イメージと色彩感覚は、近年ではベルトラン・ボネロの『SAINT LAURENT/サンローラン』と双璧な圧倒的美意識を誇る。

【第759回】『オンリー・ゴッド』(ニコラス・ウィンディング・レフン/2013)


 赤みの強いピンク色の煙の中、銀色に光る青龍刀がぬっと姿を表す。歓声のこだまするムエタイ会場の控え室。兄ビリーと共にジムの会長を務めるジュリアン(ライアン・ゴズリング)は、トレーナーにバンデージを巻かれた教え子にそっと一言声をかける。熱狂のリング上、10mほど離れた場所に陣取ったジュリアンは所持無さげにリングの周りをゆっくりと歩く。兄ビリー(トム・バーク)とアイコンタクトを取った男たちは程なくして八百長試合に手を染める。昼間は兄弟仲良くボクシング・ジムを経営しながら、夜はコカインやヘロインの密売という裏稼業に精通するジュリアンの二面性は、『ドライヴ』のシャノンの昼は自動車修理工場で糊口を凌ぎながら、空いた時間には映画のカー・スタントマンとして活躍するが、夜は強盗の逃走を請け負う危険な運転手としての裏の顔を持つ主人公と同工異曲の様相を呈す。昼と夜でまったく様変わりする都市の風景は同じく『ドライヴ』と、ライアン・ゴズリングの初監督作品である『ロスト・リバー』の延長線上にあると言っていい。今作の主人公であるジュリアンも明らかに神経症的な症状を抱える孤独な男に違いない。一切の笑みも見せず、ほとんど採光の余地もない暗がりに漂うように居座るジュリアンは夢遊病的な病の渦中にある。教え子に八百長の対価を支払った後、兄ビリーは弟のジュリアンに向かい、「魔物が現れるぞ」とただ一言だけ呟いて立ち去る。

 タイ・バンコクで夜間撮影された夜の闇の描写があまりにも美しく息を呑む。『ドライヴ』以上に極端に削ぎ落とされた台詞。暗室のような室内の黒に映えるような赤色。『ドライヴ』ではシャノンの病理は結局最後まで明らかにされることはなかったが、やがて中盤以降、ジュリアンの病理の原因は全て明るみに出る。ただ家族の不和という明確な主題を抱えつつも、映画は東洋的(アジア的)な神秘主義を取り込みながら、クライマックスまで不明瞭さを保ち続ける。ライトなライアン・ゴズリング・ファンの失望を招いたチャン(ヴィタヤ・パンスリンガム)の露悪的なカラオケ描写は、ニコラス・ウィンディング・レフンが敬愛して止まないアレハンドロ・ホドロフスキーではなく、デヴィッド・リンチの『ツインピークス』の劣化コピーなんじゃないかと穿って見てしまう。父殺しの犯人はその後見事に男根を去勢され、性的不能者として夢遊病的に夜の街を彷徨い続ける。『ブルー・ベルベット』のようなひと夜の夢の後、椅子に拘束着で縛り付けられ、愛人の自慰行為の一部始終を観察する主人公の造形は心底狂っている。しかしそれ以上に狂っているのは母親のクリスタル(クリスティン・スコット・トーマス)と兄ビリーの尋常ならざる関係に違いない。母親がペニスの大きさで弟の勃起不全を痛めつける様子は、恐らく近親相姦のメタファーに他ならない。

 黒幕は別にいると意味深長な言葉を吐きながら、チャンの存在は誰にも侵犯出来ない絶対的な「神」として振舞いながら、時に天国から現れたジュリアンの代父のようにも思えてならない。再び兄ビリーの強行の場面に話を戻せば、母親の味を知ってしまった男は少女のような歳の女を追い求め、歪んだ性欲を爆発させる。一方でジュリアンがクライマックスに見た少女のイメージは、一貫して大人になれなかったジュリアンと鏡像関係を結び、彼を苦しめる。侵してはいけないラインを踏み越えてしまった兄や母親の悲惨な末路に対し、娘を無残にも殺された父親とジュリアンには少しの猶予が与えられる。前述のライトなライアン・ゴズリング・ファンが今作の不快極まりない内容に激怒するのは十分に理解出来るし、心底不快な暴力描写の連鎖に同情もするが、『ロスト・リバー』にも明らかなように、本来はこのアート路線の方がライアン・ゴズリングの好みだということは割とハッキリしている。しかしいかんせん人間には向き不向きもある 笑。才能のあるライアン・ゴズリングには5本に1本は脇道に逸れたアート系路線でストレスを解消しつつ、残りの4本は是非ともメインストリームの作品の端正な演技に徹して欲しいと切に願わずにはいられない。

【第757回】『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン/2011)


 アメリカ西海岸のとある町、ホテルの部屋の窓側。夜の闇を見つめる男は携帯電話で依頼主に向かって優しく話しかける。10万の通りがある町だから、逃げ道は幾らでもある。5分間は何が起きようとも待つ。だが5分を過ぎれば自分は躊躇なくその場を離れると。その口ぶりはいかにもプロの逃走請負人そのものである。夜の闇の中、やがて男は静かにステアリングを握る。名無しのドライバー(ライアン・ゴズリング)は夜の闇に溶け込むような300馬力のインパラを選ぶ。請負人が強盗に立ち入ったあと、彼は腕につけていた時計を外し、ステアリング中央にかける。トランシーバーで警察無線を盗聴する男は、南アラメダ4-2-1で強盗が発生との一報を共有する。それでも5分と設定した男は焦る様子がない。2人組の強盗の1人は大急ぎで戻って来るが、もう1人はまだ出てこない。時計は4分30秒を回り強盗犯は苛立ち始め、警察もあと1歩のところまでやって来るが、ドライバーの男は何食わぬ顔でギリギリでやって来たもう1人の男を後部座席に乗せ、勢い良く走り出す。「逃走車両はシルバーのインパラ」だと警察にすぐにバレた絶体絶命の3人だが、ドライバーの手捌きは実に鮮やかで抜かりない。何度も警察車両を煙に巻いたあと、ヘリコプターに一度は位置情報を共有されるものの、停止と猛スピードのメリハリで夜の街を我が物顔で逃げ去るのだった。男は依頼者から謝礼を受け取った後、プリペイド携帯と車両を消去し、また別の人格となって次の街へ現れる。こうして男は転々と住む場所を変えながら、ボストン・バッグ一つでアメリカ西海岸の裏社会を駆け巡る。

 天才的なドライビング・テクニックを持つ寡黙なカー・ドライバーは、昼は自動車修理工場で糊口を凌ぎながら、空いた時間には映画のカー・スタントマンとしてしっかりとした表の顔を持つ。彼には映画の仕事を斡旋する個人プロダクションのような仕事をするシャノン(ブライアン・クランストン)という初老の相棒がおり、稼ぎはいつも折半している。一見平和で温厚な男に見えるが夜は表の顔から一転し、強盗の逃走を請け負う危険な運転手としての裏の顔を持つ。この昼と夜の人格の劇的な変化には真っ先にマーティン・スコシージの『タクシー・ドライバー』を連想せずにはいられない。男は一見寡黙で気の良い人物にも見えるのだが、明らかに内側には深い病理を抱えていることが、夜の街を窓際から見つめるドライバーの背中からはひしひしと感じ取れる。同じ街で住む場所を何度も変え続ける男は、窓から見える夜景を物憂げな表情でしばし見つめた後、エレベーターに乗り込むが、3つ隣の部屋から同時に乗り込んで来たアイリーン(キャリー・マリガン)の姿に心を奪われる。夜の闇に溶け込むべき男は、この時点で運命の女アイリーンと出会ってしまう。男の裏稼業にとって一番致命的なのは隣人に顔バレすることなのだが、ドライバーは彼女の姿に何らかの天啓を得る。翌日スーパー・マーケットで偶然にもアイリーンとその息子ベニチオ(カーデン・レオシュ)の仲睦まじい様子を見た男は、陳列棚の向こう側から親子の会話を盗み聞きする。駐車場から走り去ろうとした時、後ろで母子の車はエンストし、男は仕方なくこの母子の世話をする。

 昼と夜の街の二面性、不眠症を患う主人公が徐々に先鋭化していった『タクシードライバー』は、ヴェトナム戦争で深い傷を負った若者たちを代弁したが、今作の名無しのドライバーの深い孤独の原因や理由は最後まで明らかにされることはない。そもそも名前や年齢すらも霧に包まれたままである。中盤以降の主人公の妄執と復讐への加速度的なジャンプ・アップは、おそらくポール・トーマス・アンダーソンの傑作『パンチドランク・ラブ』を念頭に置いているに違いない。左手でステアリングを握る男の右手にアイリーンが触れた時、男の心には確かに愛情が芽生えるが、スタンダード・ガブリエル(オスカー・アイザック)の思わぬ出所が2人のロマンスを随分あっさりと挫く。警察のお世話になり、一向に父になりきれない男スタンダード、一方でベニチオから実父に向けられるような深い尊敬の眼差しを受ける父になりきれない孤独なドライバーとが、いがみ合うのではなく、交差し共闘するアイデアはなかなか斬新である。ノワール・サスペンスにおいては、しばしば男と女が一緒に車に乗った時が落とし穴になるが、薄幸でピュアなアイリーンに代わり、ファム・ファタールの役を強引に奪い取ったブランチ(クリスティーナ・ヘンドリックス)の突然の存在感が素晴らしい。2人の会話を阻むありがた迷惑なエレベーターの来訪の後、浮き上がる背広の右胸から覗く黒い物体をはっきりと確認した男は、アイリーンの唇に情熱的なキスをする。パイプオルガンのメロディが流れ、やがてオレンジ色の光が煌々と輝きを放つあまりにも美しい名場面を断ち切るかのように、次に男が取った行動は随分暴力的で容赦がない。唇を奪われ、幸せの絶頂にあったアイリーンの表情が次の瞬間、見る見るうちに別人のような怯えきった目に変わる。その後の物語を追うのが躊躇わられるほどの表情を纏った男女は、開閉ボタンを前にして一瞬だけ素の表情を垣間見せる。今作の醍醐味はまさにその数秒の男と女の断絶に集約されている。

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