【第769回】『PK』(ラージクマール・ヒラーニ/2014)


 辺り一面何もないインドの砂漠地帯ラージャスターン州、停車駅のない場所に遠くから列車がやって来る。この地の空には大きな雲が湧き出し、ゆっくりと地上へ降りて来る。雲の切れ間からはかすかに宇宙船らしき物体が見える。ハッチが開き、全裸姿の宇宙人(アーミル・カーン)が出て来る。地上に降り立った宇宙人のしばしの感慨の後、線路沿いを歩く1人の男は全裸姿の男をただただ不気味がる。目が合う男同士の距離は数十m。宇宙人は全裸で全力疾走し、彼の前の前で立ち止まる。ジリジリとした沈黙の後、男は宇宙人の首にかけられた緑色に点滅するアクセサリーを引きちぎり逃走する。線路内を全力疾走する男はそのまま貨物列車の最後尾に飛び乗る。呆気に取られた宇宙人も彼の姿を追うものの、男から奪うことが出来たのはラジカセだけだった。その緑色のタイマーこそは、宇宙船を呼び戻すリモート・コントローラーに他ならない。リモコンが無ければ、地球から祖国へ変えることは叶わない。到着早々、絶望的な思いに駆られた男には更なる悪夢が待ち構える。一方その頃、ベルギーの古都ブリュッヘでは一人の女ジャグー(アヌーシュカ・シャルマ)が足取りも軽やかにペダルを踏む。心待ちにしていたボリウッドの大スターであるアミターブ・バッチャンの朗読会。意気揚々と階段を駆け上がった彼女は売り切れの文字に心底落ち込む。仕方なくダフ屋に声をかけるが、その場に居合わせた青年サルファラーズ(スシャント・シン・ラージプート)と口論になる。だがこれが運命の恋の始まりだった。

 前作『きっと、うまくいく』では恋と友情の大学生生活を描き、伏線にしっかりとインドの学業問題を織り込みながら、深刻な自殺者数と強姦の多発する現代インドの問題にも鋭くメスを入れたラージクマール・ヒラーニだが、今作は宇宙人の目から見た「神」や「宗教」というインド社会最大のタブーを紐解く。サルファラーズの歌声に魅了されたジャグーは一目で彼に惚れるのだが、後に彼がパキスタン人だとわかったことで一気に血の気が引く。ジャグーの父(パリークシト・サーハニー)は彼女が生まれる前から熱心なヒンドゥー教信者であり、家族の大事なことは全てヒンドゥー教導師のタパスヴィー様(サウラブ・シュクラ)に師事を仰いで来た。映画の中の描写は幾分不明瞭だが、今作が「インド・パキスタン分離独立」を下敷きにしているのは疑いようもない。イギリス統治時代、インド人とパキスタン人は同じ土地で仲良く暮らしていたのだが、ヒンドゥー教とイスラム教の対立が激化し、人々を分断する。自分たちの神様が1番だと信じてやまない宗教対立は結果として、「インド・パキスタン分離独立」により国境を作らざるを得ない。その結果、先祖代々シームレスにコミュニケーションを気付いて来たインド人とパキスタン人の間には大きな齟齬が生じる。前半部分の若いカップルの破局は「インド・パキスタン分離独立」の被害を被る悲しい破局に他ならない。ジャグーは失意の中、ニューデリーに戻りテレビ記者となるが、駆け出しの彼女の前に絶好の被写体になりそうな男が現れる。黄色いヘルメットを被り、大きなラジカセを抱え、「神様が行方不明」という名のチラシを配る男の姿にジャグーは魅了される。

 今作でも『きっと、うまくいく』同様に主演を果たしたアーミル・カーンは真にピュアな心で、インドの因習や慣例にクエスチョンを投げ掛ける。世間の常識が一切通用しない主人公の姿に、徐々に賛同者が集まる様子は前作『きっと、うまくいく』と同工異曲の様相を呈す。だが唯一違うのは彼がインド国民ではなく、得体の知れない宇宙人だということである。ひときわ大きい福耳を持ち、一切瞬きをしない筋肉質の男は風俗嬢の手を6時間握り続けるまで、チャップリンやバスター・キートンのような無声映画の世界を生きる。宇宙人の目から見た「神」や「宗教」を扱う物語は、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教だけに留まらず、ジャイナ教やシク教、仏教のエッセンスまで取り入れる。神はただ一人であるはずなのに、どういうわけか大きく膨れ上がったそれぞれの宗教の自己矛盾に対し、立ち向かう純粋無垢な男の描写は決して悪くないのだが、宗教は神ではなく、人が生み出したことを明らかにする中盤の描写がやや凡庸で冗長なのは否めないだろう。『きっと、うまくいく』のフィアンセのスハース・タンドン(オリヴァー・サンジェイ・ラフォント)やヴァイラス学長(ボーマン・イラニ)同様に、ラージクマール・ヒラーニの描写は時に導師のタパスヴィー(サウラブ・シュクラ)を槍玉に挙げるが、善悪の描写はストレートな勧善懲悪の範疇には到底収まらない。唐突なテロリズムの侵犯など中盤には理解不能な場面が多々見られるが、導入部分の独創性やクライマックスのオリジナリティは『きっと、うまくいく』同様に抜きん出ている。

【第768回】『きっと、うまくいく』(ラージクマール・ヒラーニ/2009)


 インド発チェンナイ国際空港、エア・インディアの便にファラン・クレイシー(R・マドハヴァン)が乗り込む。飛行機が離陸した直後、突然彼の携帯電話が鳴る。CAさんの顔色を伺いながら、電話を取った男は電話口の話を聞いて一気に青ざめる。もはやUターン出来ないエア・インディア便内、足元も不確かな状態で突然男は立ち上がり、卒倒したフリをする。Uターンした先のチェンナイではドクターたちが待ち構えているが、彼は突然病気は治ったと嘯きながらその場を立ち去る。男は慌てて空港を出ると、その足で大学時代の同窓生であるラージュー・ラストーギー(シャルマン・ジョシ)を迎えに行く。10年ぶりにファランに電話をかけたのは、チャトル・ラーマリンガム(オミ・ヴァイディア)通称サイレンサー。ウガンダ生まれでヒンディー語があまり得意ではないチャトルは学生時代に事あるごとにバカにされ、いじめられ続けた。彼はファランとラージューを母校の屋上の鉄塔のところに呼び出す。ファランは外国での仕事を蹴り、慌てたラージューはトランクス1枚で駆け付けたのだが、ただのぬか喜びに失望が隠せない。しかし大会社の副社長を務めるほど成功した男は、10年前に受けた屈辱を見せつけるためにこの地にやって来た。セメントに落書きされた「9月5日」の文字に2人は10年の時をタイムスリップする。

 今作は幻の人ランチョルダース・シャマルダース・チャンチャル(アーミル・カーン)を探す旅に他ならない。10年前、卒業式の後、突如蒸発したランチョーの消息を誰も知らない。切羽詰まったランチョー探しの道中で男たちは10年前の思い出を振り返る。インド屈指の難関工科大学ICE(Imperial College of Engineering)に熱烈な家族の後押しを経てやって来た彼らは、先輩たちによるかなり手荒な歓迎を受けているが、そこへやって来たのがランチョーだった。従属意識の強いファランやラージューとは違い、反骨の自由人であるランチョーは最初から持ち前の頭脳で先輩たちに加え、ICE学長であるヴィールー・サハスラブッデー(ボーマン・イラニ)通称ウイルス学長にも抵抗する。IT大国であるインドのエリート理系男子たちの日常生活を綴る物語は、当然エリート主義の中に何人かの落ちこぼれを作る。正しい点数の取り方を教え、権威主義の権化である競争の渦に生徒たちを強引に巻き込む事で就職率No.1を誇示し続けたウイルス学長のエリート主義の弊害をランチョーが正論で論破するディスカッションの場面は息を呑む。やがて今で云うところのドローン技術に人生の全てを賭けたジョイ・ロボ(アリ・ファザル)の弛まぬ努力はウイルス学長の一言で暗転する。ジョイ・ロボを救えなかったランチョーの苦い思い出は、ジョイ・ロボ以上に親しいラージューを絶望の淵から救う。意識不明のラージューを勇気付けるランチョーの場面は何度観ても涙腺が緩む名場面に違いない。

 劇中、インドの若者の自殺率は非常に高いと言っているが、2015年の調査では日本やロシアよりも高いが、ガイアナや韓国よりは低い。IT大国の華やかな活動の陰では、エリート主義から落ちこぼれ、未来を悲観した若者たちの自殺が後を絶たない。自殺の多い国の大半は正常不安や経済の低迷が続くアフリカ諸国であり、いわゆる先進国の中では韓国とインドの自殺率が突出している。躁状態のボリウッドの光に隠れたインド社会の現実を今作は突きつける。ヒンディー語があまり得意ではないチャトルにランチョーの入れ知恵で「ゴーカン」となんども連呼させた言葉は、レイプ被害の多発するインドの現状を痛烈に風刺する。1978年生まれのファラン・クレイシーの人生は彼が生まれ落ちたその瞬間から決められたレールの上を歩かされる。郵便局員だった父親の下半身麻痺により、一家全体が路頭に迷うラージュー・ラストーギーの貧困状態は云うまでもない。当然ながら親の望む理想的な子供の将来と、子供達が率先して見つけた未来とは大きく乖離している。個人的には、生まれた瞬間からエンジニアになる夢を否応なしに命ぜられたファランが、両親に自身の夢を懇願する場面にうっかり涙腺が緩む。救えなかった生があった一方で、彼らはヒロインであるピア・サハスラブッデー(カリーナ・カプール)の兄貴の再来のような赤ん坊の誕生を全身全霊で請け負う。ちょうど折り返し地点に設定されたランチョルダース・シャマルダース・チャンチャルの名前にまつわるミステリー、まるで80年代の香港映画を観るような力業満点の強引すぎる展開の妙とクライマックス、監督であるラージクマール・ヒラーニの名を胸に刻んだ2000年代の傑作インド映画である。

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