【第796回】『エレクトリック・ドリーム』( スティーヴ・バロン/1984)


 午前中のロサンゼルス国際空港TWA129便、建築会社に勤める建築設計士のマイルズ(レニー・ヴォン・ドーレン)は、今日も赤煉瓦の研究に没頭し飛行機に乗り遅れ、会議に遅刻する。今週は3度目だと社長に警告を受けた彼のために、同僚がスケジュール管理をパーソナル・コンピューターに任せればいいと助言をする。コンピューター・ショップで半信半疑だったマイルズは、初心者向けだからと言われて一台のデスクトップ・パソコンを購入する。今私たちが手にしたスマフォよりも何百倍も重く、がさばる当時のパソコンはまるでブラウン管テレビのような厚みを誇る。現代で言うところのスマート家電の一種の亜流であるユビキタス化(電化製品とパソコンとの同期)を図る主人公の試みは84年当時では実現不可能だが、現代の目で見れば非常に新しく、新鮮に映る(主人公はコーヒー・メーカーやカミソリまで同期させている 笑)。マイルズの住むアパートの一つ上の階にマデリーン(ヴァージニア・マドセン)が越して来る。彼女はクラシック音楽のチェリストであり、LAの楽団に加入し、すぐに打ち解ける。新しいパソコンと1つ上の階に越して来た美女との出会いに、マイルズは胸をときめかせる。基盤にシャンパンを流し込んだ時点で、普通ならばショートだと思うはずだが 笑、そこでコンピューターの誤作動が起きる。主人公不在の部屋、マデリーンの自主練習の音を通風口から漏れ聞いたコンピューターは彼女の音符を完璧に再現し、チェロとコンピューターでセッションを繰り広げる。

 人工知能を聞いたことがあるかとマデリーンに無邪気に話すマイルズの言葉通り、1984年には「人工知能」と言う言葉がまだポピュラーではなかった。だが密かに「人工知能」と言う言葉は1954年に計算機科学者で認知科学者のジョン・マッカーシーにより提言されたのである。1968年、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックは、2001年には人間並みか人間を越えた知性を持ったマシンHAL 9000が存在するだろうと予測した。スティーブン・スピルバーグの『A.I.』が産み落とされるのは、その直後のことである。映画の世界にいわゆるドロイドや初期のA.I.が導入された記念碑となるのは1982年に違いない。そのうちの1本はフィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の原作をリドリー・スコットが大幅に改変し、レプリカントを次々に始末するデッカードの活躍を描いた『ブレードランナー』であり、もう1本は小さなケーブルTV局『CIVIC-TV』の社長を務めるマックス・レンが過激な暴力映像の虜になり、肉体に映像ドラッグを埋め込まれた『ヴィデオドローム』である。片やフィリップ・K・ディックの思想を血肉化し、片やマーシャル・マクルーハンの教義を受け継いた物語はリアルタイムでは好事家以外にはまったく話題に昇らなかったものの、21世紀を生きる我々にとっては『ブレードランナー』も『ヴィデオドローム』も今では早過ぎたカルト・クラシックスとしてつとに知られている。

 今作はマイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン』や『ラ・ラ・ランド』で再ブレイクしたa-haの『テイク・オン・ミー』のM.V.を手掛けたことで知られるスティーブ・バロンの記念すべき監督デビュー作である。心なしかa-haの『テイク・オン・ミー』で見られた現実と仮想現実との境界線の物語に監督は更に一歩踏み込む。バーチャル・リアリティにすっかり侵食された我々からすれば、クライマックスのマデリーンの勇気ある決断が心底羨ましい。中盤にカップルが訪れたアルカトラズ刑務所の牧歌的な風景、人工知能が跋扈する未来に警鐘を鳴らしたスティーブ・バロンの現実vs仮想現実の2層構造は来たるべき現代を正確に風刺していたと言っていい。目の前に実体が具現化しない『ポケモンGO!』のモンスターや空想を実装化したに過ぎない架空のゲームにうっかり数万円を課金してしまう現代人の病は、23年前に製作された無邪気な今作の世界観の檻から逃げられない。愛は奪うものではなく、与えるものだと言う言葉は、あれから20年あまり、激しく草食化されていった21世紀の男性陣の倫理観への激しい風刺として機能する。『ブレードランナー』や『ヴィデオドローム』と比べれば明らかに小粒だが、アレックス・ガーランドの『エクス・マキナ』やスパイク・ジョーンズの『her/世界でひとつの彼女』にただひたすら身につまされた諸氏には、80年代の隠れた名作として真っ先にお薦めしたい初DVD化の隠れた名作である。

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