【第866回】『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第865回】『アポカリプト』(メル・ギブソン/2006)


 文明が征服される根本原因は内部からの崩壊だという象徴的な言葉。マヤ文明後期の中央ジャングル、森の中に身を潜めた男たちは、野豚の気配にじっと耳を傾ける。やがて画面奥から飛び出して来た一頭の野豚を男たちはサークリングで包囲し、罠で仕留める。残虐で原始的な狩りの手段、その場で野豚を切り裂き、ジャガー・パウ(ルディ・ヤングブラッド)は臓物の部位を各々に配っていく。最後に残った野豚の金玉をいじめられっ子に配る男たちは高らかに笑う。狩猟民族としてこの地に何代も暮らし栄えるジャガー・パウ一行は、森の反対側から近づいて来る人影に緊張を隠せない。彼らは怯えきった目を見せながら、村は滅茶苦茶に破壊されてしまったと言う。攻撃する意思がないことを確認したジャガー・パウは彼らを先に通らせるが、彼の父親で村長のフリント・スカイ(モリス・バードイエローヘッド)は息子の心に芽生えた僅かな恐怖心を嗅ぎ取る。楽園のような村には妊娠中の妻セブン(ダリア・ヘルナンデス)や幼い息子タートル・ラン(カルロス・エミリオ・バエズ)が彼らの無事な帰りを心待ちにしている。束の間の平和な時、突如楽園のような村はマヤ帝国の傭兵の襲撃を受ける。絵に描いたような地獄の光景、女たちはその場で強姦され、なぶり殺しに遭う。男たちはリンチされ、仲間たちと共に支配者の元へと連れ去られてしまう。

 前作『パッション』ではイエス・キリストの処刑に到るまでの12時間が、残酷すぎると言う理由で賛否両論巻き起こったが、今作はその痛みの強度をもう一段階増した内容に仕上がっている。冒頭部分、野豚を残酷に狩猟したジャガー・パウとフリント・スカイの村は皮肉にも同じような残酷さで焼き討ちされる。女たちは犯され、体力のない老人や子供は取り残され、奴隷や生贄に相応しい男手と若い女ばかりが強制連行される。全身にボディ・ペインティングを施し、耳たぶや鼻、額や顎に立派な装飾を纏った男たちは自分たちを超える野蛮な部族の前に為す術もない。抵抗したジャガー・パウの父親はその場で喉を掻っ切られ、息子の前で絶命する。直視出来ない光景はスクリーンの前に晒され、我々観客は西部劇の何倍も残酷な事象をただただ固唾を呑んで見守るしかない。スネーク・インク(ロドルフォ・パラシオウス)に睨まれ、「死に損ない」と名付けられた男は当初から虫の息だが、崖の上から谷底に落ちそうになろうが、神への生贄にされそうになろうが、矢じりが脇腹を貫通しようが、まるでイエス・キリストのように何度でも蘇る。壮絶な痛みを伴った主人公はその度に勇敢に立ち上がり、メル・ギブソンのこれまでの出演作を代弁するかのように、森の中を一心不乱に全力疾走する。マヤ人がここまでの蛮行を繰り返したのか明確なエヴィデンスはないものの、ここには確かに五感に訴える鈍い痛みと、その痛みの先にある人間の根源的な剥き出しの能力がはっきりと見える。

【第864回】『パッション』(メル・ギブソン/2004)


 紀元1世紀のエルサレム、青々とした月の下で男は1人祈る。1時間の見張り中にも関わらず、仮眠を取っているペトロ(フランチェスコ・デ・ヴィート)とヨハネ(フリスト・ジフコフ)に師であるナザレのイエス・キリスト(ジム・カヴィーゼル)は静かに語りかける。「誰かが私を裏切ろうとしている」、大司祭カイアファ(マッティア・スブラージア)に銀貨30枚でキリストの居所をリークする十二使徒の一人であるユダ(ルカ・リオネッロ)の裏切り。空中を浮かぶ銀貨は床に叩きつけられ、バラバラに崩れ落ちる。松明を持って林の中に現れたカイアファの軍勢、やがて捕えられたペトロとヨハネは私がキリストであると嘘をつき、イエス・キリストを逃がそうとするが、弟子たちの苦しみに耐え切れずに捕えられ、市の城壁の内に連行される。夜の裁判でカイアファはイエスに救世主なのかと問い肯定したイエスに対し、冒涜者だと宣告する。神を冒涜し、ユダヤ教体制を批判した罪により、ローマ帝国へ反逆者として移送されたキリストの扱いに総督ピラト(フリスト・ショポフ)は苦悩していた。

 イエス・キリストの受難を描いた映画には、27年のセシル・B・デミルの『キング・オブ・キングス』やニコラス・レイによる61年のリメイク作、ヘンリー・コスターの53年作の『聖衣』やウィリアム・ワイラーの59年作『ベン・ハー』などがあるが、今作の肌触りが最も近いのはマーティン・スコシージの88年作『最後の誘惑』だろう。イエス・キリスト(ウィレム・デフォー)とユダ(ハーヴェイ・カイテル)の危うい関係性から磔にされるまでのキリストの姿を描いた『最後の誘惑』でスコシージはキリスト教徒の批判に耐えてまでも自分の撮りたかったキリスト像を具現化した。メル・ギブソンもスコシージ同様に熱心なカトリック教徒として知られており、構想から12年もの歳月を費やし今作を映画化する。今作を最も印象づけるのは、キリストの生い立ち部分や奇跡の描写を排し、キリストが磔刑になるまでの12時間に焦点を当てていることにある。同時期に死刑を宣告されたバラバとの二者択一、デュスマス(セルジオ・ルビーニ)とゲスタスの心底陰惨な暴力はスクリーンを直視するのが憚られるほどで、拷問に次ぐ拷問は流れ出る血液の描写以上に、骨を断つような痛みに満ちる。実際に今作を観た観客がショック死した例もあるように、イエス・キリストの拷問・暴行シーンには賛否両論溢れた問題作でもある。

【第863回】『顔のない天使』(メル・ギブソン/1993)


 同時に空に飛ぶ幾つもの帽子のスロー・モーション、名門士官学校の卒業パレードでは、チャールズE(チャック)・ノースタッド(ニック・スタール)が同期生に肩車されながら、首席での卒業という名誉を受ける。愛する母親のキャサリン・ペイリン(マーガレット・ホイットン)は聴衆の中で大喜びし、異父兄弟であるメグ・ノースタッド(ギャビー・ホフマン)も微笑むが、唯一異母兄弟で義理の姉のグロリア・ノースタッド(フェイ・マスターソン)だけは口に黒いガムテープが貼られている。だがチャックの顔は観衆の声の中、突如気を失ったかのようにボーッとする。1968年、6月第1週のメイン州ポートランドの港町、一家は避暑地に恒例のバカンスにやって来ていた。ボストンからフェリーで一路ポートランドへ、女たちは夏の盛りの高揚感に満たされるが、名門ホリフィールド士官学校に入学することを夢見るチャックだけは、一ヶ月前のテストに落ちたことを後悔し、数ヶ月後のリベンジに燃えていた。美人だったキャサリンは3人の男性と結婚し、それぞれとの間に1人ずつ子供を設けた。3人目の夫との間に生まれたチャックが物心ついた時には既に父親の姿はない。幼かった彼は父親がどのような理由で死んだかもまるで覚えていない。

 ジョージ・ミラーの『マッド・マックス』シリーズやリチャード・ドナーの『リーサル・ウェポン』シリーズの演技で一躍、80年代のハリウッドの寵児に登り詰めたメル・ギブソンの監督デビュー作。亡き父親の不在のトラウマを抱えた少年が、女系家族の中でもがく主題は真っ先にスティーヴン・スピルバーグの作品を彷彿とさせる。然し乍ら亡き父に代わり、チャックのトラウマを中和する代父となる男の造形が一風変わっている。朝鮮戦争の英雄はPTSDを抱えながら帰国したチャックの父親とは入れ子構造のように主人公の前に突如現れる。ウィリアム・デターレの1939年作『ノートルダムのせむし男』のカジモド、『美女と野獣』のビーストのような醜い裂傷を抱えた2枚目メル・ギブソンの醜い傷痕が痛々しい。湖畔の屋敷に住むせむし男の描写はいかにも戦前のクラシック・フィルムの雰囲気十分である。ハワード・ホークスの48年作『赤い河』を眺めながら、プレイボーイの世界に遊ぶジョン・ウェインになりたいと願う早熟なチャックは、メンターとなるジャスティン・マクラウド(名前に正義の刻印がある)と出会うことで、少しずつ自立した大人へと成長してゆく。

 ハリウッドではバリバリのアクション・スターとしてならしたメル・ギブソンの監督デビュー作が、トラウマを抱えた少年と、違う少年の心を救えなかったベテランの焦燥感を等しく結ぶヒューマン・ドラマだったことに当時は少なからず驚いた。クライマックスの嫌疑はやや唐突な気もするが 笑、その展開は地味ながら好感が持てる。チャックの母親のキャサリンを演じた「アメリカの坂口良子」ことマーガレット・ホイットンの70年代の母親像、田舎町の警察署長を演じたクリント・イーストウッド作品の常連であり、ジュリエット・ルイスの父親でもあるウェイン・スターク(ジェフリー・ルイス)の見事な演技。リチャード・メイサーやイーサン・フィリップスなど脇を固める重要な役者たちの起用にはメル・ギブソンの役者としての才覚が冴え渡る。93年はロバート・アルトマンが『ショート・カッツ』を撮り、スティーヴン・スピルバーグが忘れることの出来ない2本の傑作『シンドラーのリスト』と『ジュラシック・パーク』を撮った年として知られているが、押し並べて見ると前年のクエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』のような衝撃は見られなかった。タランティーノやスパイク・リー、フィンチャーやPTAやシャマランが主導した新しい時代の波が本格的に到来するのは翌94年からである。93年は80年代の延長線上として、未だ90年代と呼ぶには憚られた最後の年である。メル・ギブソンの特殊メイクのクオリティが93年という時代を思い起こさせる90年代過渡期の忘れ得ぬ佳作である。

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