【第38回】『アートスクール・コンフィデンシャル 』(テリー・ツワイゴフ/2006)

ピカソのような世界的アーティストを夢見て
NYのとあるアートスクールに入学した青年ジェローム(マックス・ミンゲラ)。

ある日の授業で、
絵のヌード・モデルをしている美女オードリー(ソフィア・マイルズ)と出会い
一目で心奪われるが、彼女の心には別の男性がいた。

ちょうどその頃、学園の周囲では原因不明の連続殺人が発生していた。

冴えない童貞男の悲哀を描いた2000年代の学園ドラマの傑作。

『ゴーストワールド』でどうしようもない人間たちに執着したツワイゴフ。
主人公は女性から男性に変わっているが、その根底にあるものはまったく変わらない。
アートに夢を抱く夢見がちな人間の幻想をシニカルにユーモラスに描いている。

まずこの学校に集まる人間のどうしようもなさが群を抜いている。
憧れの学校に入学したはいいが、登校する人物はみんなどこかネジが外れている。

同室になった2人の仲間は、自主映画に明け暮れるデブと優柔不断なゲイ。

同世代がそんなところだと思うと、
メンターとなるべき上の世代も同様に才能のないクズばかりで、
主人公と警察官を除く全ての登場人物が、社会から逸脱した人間として描かれている。

それは大学の守衛とか大学教授の妻とか
ほんの些細なワン・ショットだけ出て来るような人物たちも同様である。
ここまで徹底して周囲の人間をおかしく描くと、
主人公が正しい選択をするのは難しく思えて来る。

中でも大学教授で25年間、
同じモチーフの抽象画を突き詰めているジョン・マルコヴィッチの
社会から逸脱した時代錯誤感は凄い。

自分の作品を認める人間は少数派だと堂々と公言して憚らない。
そのくせ自室の壁に飾ってある作品は愚にもつかない抽象画というちぐはぐさ。

この男は常に電話をしているし、電話の向こうの人間を絶えず罵倒している。
まがりなりにも教育に携わる人間であるにもかかわらず、
異様な人間として描くツワイゴフの描写は容赦ない。

このジョン・マルコヴィッチ扮する大学教授と
ジム・ブロードベント扮するOBで酒浸りの画家の男を
監督は明らかに対比して描いている。

物語の中盤に一瞬だけ出て来る家族の食卓の風景も壮絶で印象深い。
一切の説明もなく、唐突に登場するその食卓のシークエンスは
おそらく主人公が帰省した時の描写だと思う。

妹なのか姉なのかわからない人間が、主人公に不平不満を並べている。
主人公が彼女が出来たことを軽く匂わせると、
食卓を立ち上がった父母がキッチンの扉の向こうで抱き合っている。
「ゲイだと思ったのに」と吐き捨て、席を立つ妹。

この空間の座りの悪さ、どうしようもない居心地の悪さこそがツワイゴフの真骨頂である。
主人公の発する周波数に対して、周り(社会)は一切同調してくれない。

皮肉なまでに空回りする主人公の心情をシニカルに見つめた観察眼こそ
ツワイゴフの演出が一番生き生きとする瞬間なのである。

それは校内のゼミで自分たちが描いた絵の感想を交わす場面も同様。
そこで彼が述べたあまりにも正論な感想は、公共にまったく受け入れられない。

前半はシニカルなユーモアがありながら、
主人公の恋愛模様を実に淡々と描いているのだが、
原因不明の殺人に絡めて、後半はまったく違う展開を見せ始める。

ここが人によって評価が分かれるところだろう。
個人的には、あまりにも話が飛躍し過ぎてついていけなかった。

そもそもタバコの火の不始末ならば、主人公は帰りがけに気付くだろうに 笑。

9.11以降は暴力描写に否定的な流れという登場人物の何気ない台詞があったが、
彼女の気持ちを引くために、一番の成績を取るために、
どうして主人公があのテイストの絵を模倣しなければならなかったのかが
最後まではっきりしなかった。

得意ではないサスペンスの要素を無理矢理加えようとして、
処女作『ゴーストワールド』にあった淡々としたシニカルな描写が陰り、
とってつけたような結末になってしまったのは残念だが、
ツワイゴフの現代社会を見つめる目の素晴らしさは2000年代でも指折りである。

それこそトッド・ソロンズのシニカルさに近い。
どうしようもない居心地の悪さの中で、もがき続ける主人公に我々はつい共感してしまう。

『ゴースト・ワールド』と同様に、
アートに造詣が深い人は、あまりにも腑に落ちる映画だと思う。

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