【第774回】『パッセンジャー』(モルテン・ティルドゥム/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

【第773回】『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(モルテン・ティルドゥム/2014)


 1951年イギリス・マンチェスター、数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)は幽閉された部屋の中で刑事の尋問を受けている。その前日、窓ガラスを割られ、窃盗被害に遭ったチューリングの部屋をロバート・ノック刑事(ロリー・キニア)が尋ねる。何も盗まれていないと言い張る風変わりな大学教授、リビングには異様に物々しい機械が置かれ、ノックはチューリングに話しかける。マスクをしながら、床を吹いて回る男は刑事の方を振り向き、もっと偉い人が来るのかと思ったと残念そうな表情で語る。純度の高い青酸カリが飛び散っているため、深く息を吸い込むなと言われた2人の刑事は、被害届けも出さない被害者の言葉を真に受け、一旦は帰路に着く。その日は猛烈な雨が降っていた。1939年、ヒトラー政権のポーランド侵攻の後、ようやく大英帝国はチェンバレンを更迭し、ウィンストン・チャーチルを首相に任命し、第二次世界大戦へとなだれ込む。子供たち約80万人が集団疎開する物々しい列車の隊列に乗り込んだチューニングは、 バッキンガムシャーミルトン・キーンズ ブレッチリーにあった政府暗号学校へと向かう。噛み合わないアラステア・デニストン中佐(チャールズ・ダンス)との面接の後、エニグマという忌々しい暗号を挑発的に吐いた男はMI6と英国軍の特殊任務の最深部へ潜り込む。

 前作『ヘッドハンター』同様に今作の主人公も一風変わった男に他ならない。ヒュー・アレグザンダー(マシュー・グッド)、ジョン・ケアンクロス(アレン・リーチ)、ピーター・ヒルトン(マシュー・ビアード)、キース・ファーマン、チャールズ・リチャーズとともにナチスの暗号機エニグマの解読に挑むチームを結成したものの、チューリングのその後の活動は明らかに協調性を欠き、しばしば仲間たちを罵り、暗号解読装置「クリストファー」の設計に異様に没頭する。デニストンが装置の組立資金拠出を拒否すると、常軌を逸した男の行動は時の首相であるウィンストン・チャーチルに10万ポンドもの支援を強請ることになる。当時としては破格の要求にも、政情不安に襲われた大英帝国の最高責任者は、ナチスの暗号機エニグマの解読のために全額援助する。彼らに与えられる時間は午前6時にデータがリセットされたところから、翌日の深夜0時まで。16時間の猶予の間にドイツ軍の暗号解読が出来なかった場合、無情にも暗号情報はセキュリティにリセットされ、彼らの計算式は全て無駄になる。一際優秀で、エリート主義の権化のようなアラン・チューリングはチャーチル首相に与えられた最高責任者としての立場を利用し、キース・ファーマン、チャールズ・リチャーズの首を切る。あまりにも冷徹な男は、新聞広告に載せたクロスワード・パズルで新たな人材の確保に躍起になる。僅か数分間の遅刻の後、係員に止められたのは信じられないことにケンブリッジ大学の卒業生ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)という女性だった。

 『ヘッドハンター』同様に不器用で社交性に欠ける男の欠点を補うのは、社交性に長けたヒロインの存在に違いない。画廊を経営し、あらゆる男たちに好意を向けられたダイアナ・ブラウン(シヌーヴ・マコディ・ルンド)同様に、夜な夜な暗号解読に励む4人の精鋭たちは美人のヒロインの登場にうっかり心を奪われる。母的な役割を一手に受け持つジョーンの登場は、ささくれ立った4人の男たちの関係を円滑に機能させ、心底険悪だったチューリングとヒューの間をも優しく包み込む。前半の1時間は過去と現在の描写が複雑に混じり合い明らかに凡庸で、アラン・チューリングの人となりを知るには駆け足で幾分混乱して見えるものの、ラスト50分、アラン・チューリングの隠していた秘密が明るみに出た時、物語は途端にキラキラと輝き始める。『ヘッドハンター』の主人公ロジャーが妻を引き止めたいがために行ってきた夜の稼業とエディプス・エレクトラコンプレックスをひた隠しにしたように、チューリングは国家の天命を円滑に進めるために必要だった救世主に対し、自身の秘密を言い出せないまま、女の幸せを餌に引き止める。若き日にいじめられっ子だったチューリング(アレックス・ローサー)は、友人クリストファー・モーコム(ジャック・バノン)に助け出され、彼の誘いで次第に暗号解読の世界にのめりこんでいく。思春期のキズを治癒させたBLのような魅惑の文字列はやがてチューリングを第二次世界大戦の惨禍に引きずり込む。彼らの非公式な活動はやがて亡くなるはずだった数千万人の人々を救い出すが、救世主には心底残酷な結末が待ち構える。祖国を救った沈黙の英雄は皮肉にも、祖国の前時代的な法律の前で雁字搦めになる。クライマックス15分の展開は何度観ても涙腺が緩む。キーラ・ナイトレイの華やかなヒロイン像も印象的だが、今作ではそれ以上にベネディクト・カンバーバッチの苦悩を抱えた存在感が圧倒的に素晴らしく息を呑む。

【第772回】『ヘッドハンター』(モルテン・ティルドゥム/2011)


 ノルウェー・オスロ、3000万クローネの大豪邸に住むロジャー・ブラウン(アクセル・ヘニー)はキング・サイズのベッドから目覚める。上半身裸、トランクス一丁の男は2つのカップにカフェラテを注ぎ、シャワー・ルームへと歩いて行く。そこにいたのは長身の妻ダイアナ・ブラウン(シヌーヴ・マコディ・ルンド)。2人は視線を交わすと濃厚なキスを楽しむ。モデルのような抜群のプロポーションと高身長を誇るダイアナに対し、ロジャーの身長は168cmで妻よりだいぶ見劣りする。コンプレックスの塊のような男は昼間は優秀なヘッドハンターとしての仕事を抱えながら、夜はイリーガルな仕事に手を染め、ダイアナの心を惹きつけておくためにプレゼントを渡していた。車庫から車を出し、2人仲良く乗り込んだ妻は隣の家の子供の姿に目を丸くするが、ロジャーの表情は浮かない。結婚して7年、未だに子供を作ろうとしないロジャーの煮え切らない態度に妻は苛立っている。ヘッドハンターをする夫、画廊を経営する妻の順風満帆に見える夫婦生活。妻が催す周年パーティの席、元HOTE社でGPS機能の研究をしていたオランダから来たクラス・グリーヴ(ニコライ・コスター=ワルドー)と出会い、ロジャーは金脈を見つけた気でいるがその夜、クラスがルーベンスの絵を持っているという妻の言葉に夫は喜びを隠さない。

 前半30分の展開は怪盗ルパンのような鮮やかな手口の犯罪映画を思わせる。警備員で、ギャラの20%を取る相棒のオーヴェ(アイヴィン・サンデル)とその恋人で女優のナターシャの描写など、緊迫感を緩和する脇役のファニーな描写は往年のヌーヴェルヴァーグ作品を彷彿とさせる。闇稼業から足を洗おうと考える主人公が、これが最後と踏み込んだ盗みの現場でとんでもない事態に巻き込まれる展開は、正調ノワールの型をしっかり踏襲しているのだが、その伏線にロジャー・ブラウンの背が低いというコンプレックスを見事に絡ませ、鮮やかな手口で犯罪に手を染める男の疑念を炙り出し、一転して追われる側に回る展開が実に見事である。あり得ないような鮮やかな手口でGPSを埋め込まれ、衆人環視システムの前で絶体絶命の中逃げる姿は真っ先にマット・デイモンの『ジェイソン・ボーン』シリーズを思い出す。彼は犯罪に手を染める一方で、普段は銃も持たない丸腰で惨めな人間で、華やかなカッコ良さなど持ち合わせていない。チビとイケメン、丸腰と軍隊上がりの元傭兵とを鮮やかに対比させ、真ん中にダイアナを置く見事な脚本、二転三転する展開は問答無用に面白い。エディプス・エレクトラコンプレックスの強い妄執に囚われる男は、まるで『タクシー・ドライバー』のトラヴィスのような深い病を抱えながら、クソまみれと血みどろのバイオレンスを経て、別人のような姿に成り果てながらも必死で良き父になろうとする。風変わりな物語構造ながら、要所要所にヴァイオレンスと軽妙な笑いを施したモルテン・ティルドゥムの鮮やかな手捌きにより、今作は見事、ノルウェー映画史上No.1の記録的ヒットを叩き出す。

【第36回】『ヘッドハンター』(モルテン・ ティルドゥム/2011)

身長168cm
昼は大企業のヘッドハンターであり、
夜は美術品窃盗犯になるロジャー(アクセル・へニー)

彼はノルウェーでも有数の優秀なヘッドハンターで、
最高級の妻と最上級の住まいを得ている。
しかし彼にはその生活を維持するために行っている
美術品窃盗の犯罪歴があった。
ある日、妻が仕入れたとっておきの情報で、
これが最後のミッションだと決意するのだが・・・

ノルウェーで4週連続No.1のノワール・サスペンスと聞いて
まったく期待せず暇つぶしに観てみたら、すこぶる面白かったのでご紹介。

まず主人公の身長168cmでうだつのあがらない設定が良い。
国内でも有数なヘッドハンターにも関わらず、どこか頼りがいがなく、
美術品の窃盗も相棒の力を借りて成功しているに過ぎない。

美人で背の高い妻に対しては、常にコンプレックスを持ち、
サロンで妻がカッコいい男に話しかけられたら、気になって仕方ない
という実に愛らしい憎めない主人公を、アクセル・へニーが熱演している。

こういう冴えない人物が主演を務めることは
アメリカ映画においては、コメディを除いてほとんどない。
観客を呼べる2枚目スターが、無理して2.5枚目を演じるのが
近年のアメリカ映画の美徳であるが、
ノルウェー映画はそういった制約に一切縛られていない。

身長168cmでうだつのあがらない主人公に対する敵役は
かつてエリート軍隊にいた高身長のイケメンと相場が決まっている。
その対立構造もきっちりと描いている序盤からかなり期待して観ていた。

オマケにこの男が、自分の妻と関係を持っているんじゃないかという疑念が
ますますサスペンスを盛り上げる重要な要素になっている。

二転三転する物語のテンポの良さもさることながら、
少しずつ主人公を追いつめていく怪しい影の描写の積み重ねが本当に素晴らしい。

何故パトカーが移送するのに
対向車とすれ違うのも窮屈な山道を走っていたのかは疑問だが 笑、
巨大トラックが猛スピードに接近するところなんて実にスリリングだし、
今時のアメリカ映画ではまったくお目にかかれない原始的な怖さだと思う。

小屋で闘犬が噛み付いて来るあたりも、
昨今のCG過多のアメリカ映画では滅多に観ない光景である。

主人公は疑心暗鬼に陥りながらも、誰が味方で誰が黒幕なのかを純粋に見極め、
然るべき措置を講じるのだが、結末の瞬間まで物語がだれることはない。

アメリカ産サスペンスに無理矢理分類するとすれば、
その肌触りはデヴィッド・フィンチャーに限りなく近い。
フィンチャーとコーエン兄弟のような渋みに肉薄する
ウェルメイドな演出とショットの張りには、本当に唸らされた。

ただもう一段欲を言えば、敵役にもう一つ振り切れた粗暴さが欲しい。
時には愛した女に危害を加えるのも厭わない野蛮さと
到底勝ち目がないと主人公に絶望させるくらいの狂った凶暴性があれば、
サスペンスとしての緊張感はもっと高まったような気がする。

とはいえ、近年のアメリカ映画ではなかなか観れないレベルの
実に真っ当で良質なクライム・サスペンスに仕上がっている。是非お試しあれ。

このカテゴリーに該当する記事はありません。