【第35回】『ウォーカー』(アレックス・コックス/1987)

1853年、独裁政権から民衆を開放する為メキシコへ渡るも失敗し、
その後ニカラグアを統治したウィリアム・ウォーカー(エド・ハリス)の物語。

この人はニカラグアで2年間、実際に大統領に君臨した人物で
本国アメリカでは傭兵の走りみたいに言われている人間らしい。

開拓者精神の誤った解釈の元、領土拡張にいそしみ、
バハ・カリフォルニア半島にロウアー・カリフォルニア共和国なる国を作り、
メキシコのソノラにもソノラ共和国を勝手に建国し、
のちにアメリカの軍隊によって制圧され、
この映画の中にもあるように、裁判にかけられるも保釈された人物らしい。

まずメキシコでの攻防からいきなりスタートする活劇は
ストレートでなかなか活きが良い。

サルサをBGMに、ペキンパーばりのスローモーションをふんだんに盛り込み、
スタイリッシュに人が前後左右に飛んで行く。

一応西部劇という体裁は取りながらも、描き方は戦争映画そのものだと言える。
銃撃戦の後には、無数の屍が広がっている。

この映画で特徴的なのは、主人公のウィリアム・ウォーカーが一切走らないことだ。
屋根の上に無数の狙撃兵がいようが、見殺しにした仲間に銃口を向けられようが
どういうわけか平然としていてテンポを一切乱さない。

唯一、心臓に弾を食らった時も、分厚い札束のおかげで奇跡的に無傷。
常に無表情で顔色一つ変えないウォーカーという男を、
監督はまるで無敵の男の英雄譚のように描いている。

1時間30分という尺もあり、物語はかなり早足で進むのだが、
メキシコ進行から軍の介入で壊滅、逮捕と裁判、釈放、再度のニカラグア進行と
事実を無駄に詰め込み過ぎたせいで、人物の細かい描写がおざなりになり過ぎている。

そのせいで57人のニカラグアに進行した私兵集団のうち、
わずか4,5人のキャラクターしか判別出来ない。

それゆえ、ニカラグア本土に上陸してからは、表情を見ても衣装を見ても、
味方の歩兵なのかニカラグアの原住民なのかがまったくはっきりしないのである。
これは単純に言って、コックスの設計ミスだろう。

というかむしろコックスは、主人公のエド・ハリス以外の人物を
最初からないがしろにしていると言ってもよい。

ニカラグア進行以前に出て来た聾唖の恋人も、
ニカラグア上陸後に出て来た現地妻も、物語の進行上、決して必要ではない印象がある。

主人公に関わる人間関係が、誰一人として必要性を迫られない映画という部分で、
この映画はかなり特殊な風貌をしている。

あとは最初は民主主義を謳いながらも、
そのうち奴隷制を採用し、略奪や殺しさえも見て見ぬフリをするに至る葛藤や動機付けの部分が
我々観客にはさっぱり伝わって来ないのも、この映画の重大な欠陥の一つと言える。

カラー印刷のTIME誌やコカコーラ、最新型のヘリなど時代考証にそぐわない
アレックス・コックスらしいユーモアも随所に見えるが、
それ以上に人物描写と主人公の葛藤が描けていない時点でペケではないか?

ラスト、エンドロールの痛烈なレーガン批判も
あくまで劇中の作劇と人物描写がしっかりしていなければ、心もとないものになってしまう。

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