Ultimate Sean Penn Movie Mashup (2015) HD

みんな大好きショーン・ペンの出演作品をつなぎあわせた恐ろしく手の込んだ映像集
全てのショットに見覚えがあったあなたはかなりのショーン・ペン通。
ちなみに私は『初体験リッジモント・ハイ』から『ミルク』まで全てわかった 笑。

The Crossing Guard Movie CLIP

幼い娘を自動車事故で失った父親フレディ(ジャック・ニコルソン)は、
犯人ジョン(デヴィッド・モース)の過失を許そうとせず、
彼の刑期が終わるのを指折り数えて待っていた。

フレディの頭の中には復讐の二文字しかなく、
そんな彼に妻(アンジェリカ・ヒューストン)はとっくに愛想を尽かし、
よその男のもとに走っていた。

一方、新たな人生に踏み出すジョンを周囲の人々は温かく迎えるが、
刑期を終えてもまったく気が晴れない彼は、贖罪の気持ちを抱えたまま
被害者女性の父親であるフレディと会うことになるが。

保安官の兄と刑期を終えた弟との
奇妙な絆を描いた傑作『インディアン・ランナー』から4年、
今作もまた被害者側の憎悪と加害者の罪悪感とを葛藤の置き場に据え、
心の監獄に囚われた2人の男の奇妙な交流を描いた力強い作品に仕上がっている。

昼間は宝石商を営み、夜はストリップ劇場に繰り出す主人公のキャラクターは
ジョン・カサヴェテス『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』の主人公
ベン・ギャザラを無意識で念頭に置いてしまったと言っても過言ではない。

彼は娘の死後、自暴自棄になって自堕落な生活を送っていたのだが、
犯人の出所の報せを聞き、急に別れた妻を訪ねる。

元妻には既に新しい家庭があり、新しい夫もその子供たちもいるのだが、
理性を失いコントロールが効かなくなった彼は、
周囲の人間の視線を気にせず、急にKYな行動に走る。

こういう理性よりも感情を重んじる不器用なキャラクターというのは
ジョン・カサヴェテスの演出の真骨頂だったと言える。

別れた妻の家に侵入し、再会を果たす場面はまるで『こわれゆく女』のようであり、
ジャック・ニコルソンがピーター・フォークで
アンジェリカ・ヒューストンがジーナ・ローランズに見えて仕方なかった。

ストリップ・クラブから人を殺しに行く主人公の描写なんて
もう丸っきり『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』と言ってもよく、
ショーン・ペンがいかにカサヴェテスを愛していたかが伺えて非常に興味深い。

ニコルソンがキャンピング・カーに急襲し、
デヴィッド・モースの寝床を襲う場面は文句なしに素晴らしい。

6年間の贖罪の思いよりも、やはり6年間の殺意の方が重かったのだろうが、
一見用意周到に見られた計画が主人公のイージー・ミスにより未遂に終わり、
3日後に殺しの期日を決めたところから、
この72時間の2人の行動と心の動きをクロス・カッティングで丁寧に描写し始める。

ニコルソンがホームレスのお爺さんに対して、別れた妻が綺麗だったことを告げる場面
またデヴィッド・モースにバスの中で障害のある女性が静かに語りかける場面
そういう些細な出来事の積み重ねがショーン・ペンは実に上手い。
このあたりは監督として非凡な才能を持っており、
役者の内面から演技を引き出すことにかけては90年代屈指の能力の高さを感じさせる。

ただ服役囚だった男が出所後すぐにあんなに美人な彼女を見つけるというのは
いくらフィクションと言っても多少強引過ぎる気がする。

ラジカセでSALT-N-PEPAをかけて、踊ろうなんて言うあたりは
間違ってもジョン・カサヴェテスの影響ではないし、
あれっと思うような沸点の低さであることも否めない。

また6年間カレンダーに印をつけながら、出所の日を指折り数えた主人公が
肝心の復讐の日に、ストリッパーごときの歌で寝過ごすのかまったく理解出来ない。

所詮その程度の復讐心なのかと観客に悟らせてはいけない場面であるはずだが、
脚本上の初歩的なミスなのか監督の強引な手法なのか
とってつけたような展開になっているのが解せなかった。

クライマックスでは前作『インディアン・ランナー』と同じような活劇に至るのだが、
カー・チェイスがランニングに変わっただけで、かなりのスケール・ダウンは否めない。

ってかSFX全盛の時代に入って、
結局追いかけっこなのかよとツッコミを入れながら当時観たのだが、
当時も今もラスト10分のガッカリ感は変わらなかった。

そもそも追いかけっこを据える時、カメラの構図はどれが正解なんだろうか 笑?
どの構図でショットとショットを繋いでも絶対に正解に至ることはないだろうし、
これまでのどの活劇においても、ラストに追いかけっこを持って来ることは一度もなかったはず。

そういう意味では、活劇の取捨選択において絶対に選んではいけないパターンを
監督であるショーン・ペンは選択し、結果見事に失敗した作品だとも言える。

ただそれでもカサヴェテスの熱狂的ファンである私には
ショーン・ペンのカサヴェテス愛が全面に出た前半部分だけでも見応えがあった。

前作『インディアン・ランナー』と比べると
決定的なショットがまったくないことと導入部分10分間の描写がぎこちないのが気になるが、
それでも人に薦められるだけの監督としての力量はしっかりと感じ取ることが出来る。

そう言えば石橋凌もちょろっと出演してます。
ほんとにちょろっとだけど、なかなか良い役で出てる。

石橋凌はほぼ同時期に『クロッシング・ガード』と
『キッズ・リターン』と『チンピラ』に出演したことを誇ってもいいと思う 笑。

【第33回】『インディアン・ランナー』(ショーン・ペン/1991)

1968年ネブラスカ州。
何の変哲もない平和な町で実直に生きる警察官の優しい兄(デビット・モース)と
ベトナム戦争帰りで心に傷を負い、
刑務所に入っていた無法者の弟(ヴィゴ・モーテンセン)の交流を描いた傑作。

初監督となったショーン・ペンはもともと
ジョン・カサヴェテスの遺作となるはずだった『シーズ・ソー・ラヴリー』で
主演を務めるはずだった。

カサヴェテスはショーン・ペンを若手no.1の逸材と評価し、
彼の才能を買って、脚本の擦り合わせを行っていた。

しかし最初の妻であったマドンナをヒロインに起用したくなったペンと
絶対に大スターを起用して映画を作りたくないカサヴェテスの交渉が決裂。

カサヴェテスから脚本を買い取ったペンは
この企画をハル・アシュビーに持ち込み、何とか映画化に漕ぎ着けようとするが
まもなくハル・アシュビーが死去。

ほどなくしてカサヴェテスも死去し、最終的に自分で撮ることを決意するが
モノクロ映画として着想したため、全ての映画会社に断られてしまう。

後にこの呪われた企画である『シーズ・ソー・ラヴリー』は
ジョン・カサヴェテスの息子ニックにより、ショーン・ペン主演で1997年に映画化されるが、
『シーズ・ソー・ラヴリー』を巡る紆余曲折の中で、偶然に巡って来た傑作が今作である。

真面目な兄と破滅的な弟という対照的な2人を軸にしながらこの映画が紡ぐのは
バラバラになってしまった家族の物語である。

冒頭、部屋の一階から聞こえる物音に気付いた兄の妻が
ベトナム戦争から帰って来た弟を見つける。

弟を両親の元に連れて行こうとする兄を弟がかわす場面が素晴らしい。
パトカーと平行移動してきた列車に乗ろうとする弟の前に車が現れ、
さりげなく兄の正当防衛を認める感想を述べたところで、兄弟は離れていく。

この映画は常に弟を捕まえきれない兄の姿を描いている。

弟の出所を出迎えに行った時も、
恋人(パトリシア・アークエット)との再会に遠慮して声がかけられない。

それは中盤の茂みの中を走る場面も
クライマックスのカー・チェイスの場面も同様である。

母親の死が美しい空撮ショットによって現された後、
孤独を紛らわせようとするチャールズ・ブロンソン扮する父親の演技が実に痛々しい。

この映画はある種、70年代のアメリカ映画に敬意を表しながらも、
イーストウッド『許されざる者』が西部劇を殺したように
70年代の象徴であるブロンソンとホッパーという2人のスターを無惨にも殺すことで
完全なる70年代の終焉を宣言しているようにも見える。

ショットガンで自殺する間際のブロンソンが観ていた8mmには
兄弟が仲睦まじく拳銃ごっこを繰り広げる光景が見えていた。
緊迫の場面に向かう前に、父親、兄、弟が激烈なモンタージュで描かれることで、
70年代的な家族の幻想が無惨にも打ち砕かれ、アメリカの欺瞞が露になる。

パトリシア・アークエットの出産を見守ることが出来なかったヴィゴ・モーテンセンに
デニス・ホッパーが破滅への道を切々と語るシーンとその後の突発的な殺人シーンは
アメリカン・ニュー・シネマへの憧憬と崩壊をより強く証明しているように見えて仕方ない。

クライマックスのまたしても激烈なモンタージュは
少し評価の分かれる部分もあるだろうが、
前を行く車から出て来た現在と過去を往来する人物の描写は本当に素晴らしい。
構えた2丁拳銃も実に様になっているではないか。

ペンはエンド・ロールの冒頭で
ジョン・カサヴェテスとハル・アシュビーへの敬意を表明している。

この後の歴史を見れば、
カサヴェテス、アシュビー、ブロンソン、ホッパーを失ったアメリカ映画の喪失は
かくも大きな欠損をもたらしたのだと改めて思う。

かつてアメリカ映画が有していた魅力の喪失の過程に
ショーン・ペンは実に敏感だったのだと言わざるを得ない。

私はこれほどまでにアメリカ映画の歴史に挑発的なデビュー作を知らない。
ショーン・ペンはこの後3本の長編を撮るが、いずれもこの処女作には大きく及んでいない。
90年代アメリカ映画を語る際に、真っ先に振り返りたい重要な作品である。

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