【第31回】『悪魔の陽の下に』(モーリス・ピアラ/1987)

厳しい修行によって真実の神の道を求めた田舎司祭が、
その意に反し悪魔と出会い、人の心を見透かす術を得る。
やがて恋人を殺した女が彼の前に現れて・・・

ブレッソン監督『少女ムシェット』、『田舎司祭の日記』の原作者
ジョルジュ・ベルナノスの同名小説の映画化。

敬虔な聖職者であるドニサン(ジェラール・ドパルデュー)は、
ときに鞭打ちなどの過剰な苦行を自らに課し、
自分が真に聖職者に値する才能があるのかと苦悩している。

例によってこの物語も唐突な始まり方で
ドニサンと監督自身が演じる聖職者ムニの対話が室内で繰り広げられている。

自分の罪を懺悔するドニサンに対し、
自らも神に仕える者としての未熟さを伝えるムニだが、
彼の崇高な意思はその言葉をまったく聞き入れようとしない。

この一連の室内劇を、ジェラール・ドパルデューは表情なく演じている。
明らかに病的というか精気のかけらもない視線、顔色の悪さ
前作『ポリス』で演じた刑事とは対照的なその表情をカメラはじっくりと捉える。

まずジェラール・ドパルデューのエピソードがあり、
次にもう1人の主人公であるサンドリーヌ・ボネール演じるムシェットのエピソードがある。

没落貴族カルディニャンの愛人である16才の少女ムシェットは
彼の子を身籠っていたが、ひょんなことから猟銃で彼を撃ち殺してしまう。

彼女は愛人である医師で代議士のガレに救いを求めるが、
名声が傷付くことを恐れ、また家庭を守ろうと取り合おうとしない。
絶望に苛まれた彼女は生と死の境を彷徨うことに。

ムニの指令で1人エタンプに徒歩で向かうことになったドニサンが
その道中で思いがけなく悪魔に出会ってしまう。

この悪魔の描写が非常に難しいし、評価の分かれるところだろう。
ピアラはまるで偶然出会ったかのように悪魔を登場させる。
家に来ないかと誘う姿は、得体の知れない悪魔というよりも、普通の人そのものである。

更に悪魔が現れる前に、ピアラには珍しい風景描写があるのも見逃せない。
フレームの中に人物の表情以外が映り込むのを極力避けるピアラには珍しく
荒涼とした草原をロング・ショットで捉えたドニサンの彷徨う様子は実に美しい。

ジェラール・ドパルデューのエピソードとサンドリーヌ・ボネールのエピソードを
続けて描きながら、2人の挿話が1つになる瞬間を描く。

自殺を選ぶことになるムシェットの
その直前、一点を見つめるように物思いにふける1分間の痛々しさは
あまりにもセンセーショナルで生々しい。

そしてクライマックスで監督自身が教会の告解室の扉を開けた時の
ジェラール・ドパルデューの表情はあまりにも美しいのである。

ピアラのあえて説明を省略した演出もあり、日本人である我々には
キリスト教的な知識、関心がないとなかなか読み解けない物語ではあるが、
フランス国内ではピアラ作品中最大のヒットとなり、カンヌを制した作品となった。

余談だがこの映画の中でガレを演じたヤン・デデはピアラと同じくプロの役者ではない。
70年代以降のトリュフォー作品の編集を手掛けたヤン・デデその人である。

【第26回】『ソフィー・マルソーの刑事物語』(モーリス・ピアラ/1985)

麻薬捜査官の男が強盗容疑で捕まえた男の罪を帳消しにする代わりに、
アラブ系の男とその情婦を逮捕する。

ピアラの映画はいつも導入部分が唐突に始まる。
今回もいきなり取調室の中で、既に犯人と刑事とのやり取りがかわされている。

カメラは主に人物の表情に密着する。
狭い室内でも機動性の優れたスーパー16ミリのカメラの使用により
役者の演技をよりリアリティのある躍動感のある演技として捉える。

盗聴により警察は動かぬ証拠を見つけ尋問するが、娼婦はなかなか口を割らない。
アラブ系の男は収監されるが、情婦はかろうじて釈放される。

ここまでの流れはまんまフリードキンの『フレンチ・コネクション』だが、
バーで逮捕した女と再開するところから、微妙にテイストを変えていく。

この映画が異様なのは、風景ショットや無人ショットがまったく出て来ないことだ。

常に人物の表情を捉えたカメラは、人物の全景を捉えることも稀で、
出来るだけ人物の表情をクローズ・アップで追い続ける。

同じスーパー16ミリの使用でも
ロメールが機動性を重視し、スケッチのようにラフな作品を志向していたのに対し、
ピアラは役者の内面から滲み出る情念のようなものを捉えようとしている。

夜のシーンなんて黒が潰れて、なかなか観づらいのだが、
この独特の質感がリアリティを生んでいる。

ジェラール・ドパルデューとソフィー・マルソーが車に乗るシーンも
乗り物が動いているかどうかはほとんど関係ないかのように撮っている。

刑事モノでありながら、活劇の要素は放棄して、
役者2人の内面の動きににじり寄るピアラの力量に感服する。

撮影監督のルチアーノ・トヴォリはダルジェントの『サスペリア』を手掛けた
審美的なフレーム・ワークを得意とするカメラマンである。

クライマックスのドパルデューの全身ショットには
男の悲哀を感じずにはいられなかった。

売店にさりげなく飾ってあったトリュフォーの本に
ピアラのトリュフォーへの愛情が垣間見えてぐっと来た。

ジェラール・ドパルデューはトリュフォーの最晩年の作品
『終電車』と『隣の女』に出た最後の愛弟子であり、
この映画の編集は、トリュフォーの内弟子だったヤン・デデが担当している。

このカテゴリーに該当する記事はありません。