【第687回】『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス/1985)


 1985年10月25日、音楽好きの高校生マーティ(マイケル・J・フォックス)は、知り合いの一風変った科学者ブラウン博士(クリストファー・ロイド)より、夜中の1時すぎに研究室前の広場へ来るよう言われた。ガールフレンドのジェニファー(クローディア・ウェルズ)とデートの約束も済ませたマーティが夜中に広場へ行くと、改造車デロリアンがある。新型タイムマシンの実験をしようとする時、燃料に使うため博士が盗んだプルトニウムを狙うリビアの過激派に突如襲われる。銃弾を浴び倒れる博士を前に、マーティはデロリアンで逃げる。時速140kmを超えた時、30年前の1955年にタイムスリップしてしまう。ロバート・ゼメキスを一躍スターダムに押し上げた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの記念すべき1作目。ブラウン博士が開発した改造車デロリアンが元で、うっかり時空の狭間にタイムスリップした高校生の冒険譚である。前作『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』でも、幻の秘宝エメラルドをコロンビアで探すことになる主人公の冒険を物語の主軸に据えながら、そこにキャスリーン・ターナーとマイケル・ダグラスのロマンスを上手く織り交ぜていたが、今作でも1955年にタイムスリップしてしまったマーティがただ単に30年後の未来へ戻るだけでなく、自らの父親と母親のロマンスを取り持つというアイデア勝ちの脚本が功を奏す。

 当初は車に轢かれそうになる青年時代の父親のジョージ(クリスピン・グローヴァー)を、母親のロレーン(リー・トンプソン)が看病したことから恋に落ちる手順だったが、誤差が生じたことで未来を書き換える必要に迫られる。青春時代の自分の母親に、恋する乙女の目で見つめられる主人公の心境とは一体どういうものか?ある種の倒錯した世界観とパラドックスに観客を誘い込みながら、それでも懸命に恋のキューピットを努めようとするマーティの涙ぐましい努力が可笑しい。ゼメキス=ボブ・ゲイルの黄金コンビは、コーラの開栓、テレビ番組の予知、ダウンジャケット等に30年間のジェネレーション・ギャップを集約させながら、異なるレイヤーに生きる主人公マーティの違和感を巧みに描く。中でも傑作はJAZZバンドを従えたダンス・パーティの会場で、マーティが耳コピしたチャック・ベリーの『Johnny B. Goode』を演奏する場面だろう。途中ヒートアップしたマーティはベンチャーズのクロマティック・ラン奏法からTHE WHOのピート・タウンゼントのウインドミル奏法、ジミ・ヘンドリックスの背中で弾くパフォーマンス、そして最後にエドワード・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法へと次々に奏法を変え、その場にいた客を凍りつかせる。マーティを危機一髪で救ったチャック・ベリーの従兄弟はチャックに電話して、受話器の向こうから『Johnny B. Goode』を聴かせるオチも憎い。

 若さゆえの怖いもの知らずで恋に積極的な母親ロレーン、内気でSF作家になることを夢見ていたいじめられっ子の父親ジョージ、ジョージを執拗にいじめるいじめっ子のビフ(トーマス・F・ウィルソン)の3竦みのキャラクター造形も秀逸で、小ネタの端々に潜むユーモアはゼメキスにしかなし得ない。うだつの上がらない父親だけでなく、ダンス・パーティ直前に飲酒する母親も、とにかくジョージを徹底的にいじめ抜いていたビフも、またドク博士も、30年後のそれぞれの立場を知るからこそ安心して見られる側面もある。みだりに過去を書き換えたり、未来を知って自分の運命を変えることの是非や倫理観にまで踏み込んだクライマックスも、タイムスリップものの古典として永遠に色褪せない。プルトニウムの代替アイテムに雷はないだろうと今観ても思うが 笑、雷の落下の縦の構図、デロリアンが140kmオーバーで時計台に突っ込む横の構図との縦横のバランスも申し分無い快楽的なショット繋ぎ。まだまだ初々しかったマイケル・J・フォックス、『ロジャー・ラビット』や『世にも不思議なアメージング・ストーリー 』内の「真夜中の呪文」にも出演したクリストファー・ロイドの怪演ぶりは息の合った掛け合いを見せる。直近のジョン・カーニーの『シング・ストリート 未来へのうた』でも愛情溢れるオマージュを捧げられたロバート・ゼメキスの出世作であり、現在・過去・未来を縦横無尽に飛び回る80年代アメリカ映画の傑作中の傑作である。

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