【第700回】『アフター・アワーズ』(マーティン・スコシージ/1985)


 ニューヨークのアッパー・イーストサイド、ビルの高層階にある一流企業に勤めるコンピューター・プログラマーのポール(グリフィン・ダン)は典型的なヤッピーである。忙しそうなオフィス内でポールは新人にプログラミングを教えている。彼の新人教育は熱心で真面目そうだが、目は虚ろで終始、OLのバッグに入れてある書類の束を見ている。新人の他愛ない野望を遮るように、彼はコーチングの仕事を早めに切り上げる。閉門寸前ギリギリまで働く中間管理職の厳しい残業時間、彼は地位や収入の代わりに、自らの貴重な時間を切り売りし、会社に奉仕している。現代では典型的なブラック企業に分類されるようなキツイ仕事。帰りに立ち寄ったカフェ、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』を夢中で読む彼に、向かいの席に座った若い女マーシー(ロザンナ・アークェット)が親しげに話しかける。マーシーは店員を指差しながら、「あの人ヘンよ」と口走る。瞬時に意気投合したポールは『北回帰線』の1ページ目に彼女の親友キキ・ブリッジス(リンダ・フィオレンティーノ)の電話番号をメモする。早速その日のうちにキキに電話をかけたポールは、マーシーから家に来るよう懇願される。時刻は夜の11時32分、翌日もデスクには山のように仕事が転がるが、孤独な欲望を満たしたいポールはその提案を二つ返事で受け入れる。

 今作の主人公であるポールは典型的なヤッピーとして描かれている。ヤッピーはアメリカで1984年頃から爆発的に流行した。戦争を知らない1950年代末から60年代中頃までに生まれ、大学院卒や修士号を持ち都会に住み、主に金融系企業や外資系企業の専門職だったり弁護士や医師で、収入はアッパーミドル・クラスでスーツや車、住居にお金をかける。知識と教養をひけらかしながら芸術にも精通し、しばしば気取っていて自己中心的、表面的というニュアンスで軽蔑的に用いられた言葉だった。ポールが住むアップタウンから、ソーホー地区まではおよそ30分強かかる。80年代初頭のニューヨークではソーホー地区の地価が下がり、アッパー・クラスやミドル・クラスではない芸術家の卵たちが数多く暮らした。ポールも当初は石膏製のチーズパンの文鎮が欲しいとマーシーとキキに伝え、ソーホーで暮らす彼女たちに会いに行く。イエロー・キャブに乗るもその日は何故か風が強く、運転の荒いドライバーのカーブの曲がり方で用意していた20ドル札が風に舞い、路上に飛んでいってしまう。カフェの店員、タクシー運転手、バーテンダーのトム(ジョン・ハード)、ホモ・セクシュアルの売人たちなど当初から今作にはまともな人間など1人も出て来ない。しかし一番まともではないのは、何よりもポール自身に他ならない。現代都市文明のエア・ポケットに紛れ込んだポールの人物造形はさながら『タクシードライバー』のトラヴィスや『レイジング・ブル』のジェイク・ラモッタ同様に、深刻な神経症を抱えている。

 『タクシードライバー』でニューヨークの昼の街と夜の街がまるで別物のような激変を見せたように、ここでもソーホー地区の袋小路のような闇が主人公を襲う。『ミーン・ストリート』や『タクシードライバー』のニューヨークの夜の街の猥雑さを更に拡張するのは、映画史に残るドイツの巨星ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』や『シナのルーレット』、『マリア・ブラウンの結婚』を手掛けた撮影監督ミヒャエル・バルハウスである。雨に濡れた路上、煌びやかに光るBARの怪しいネオン管、ムンクのような物言わぬ石膏、等間隔に置かれた鳥黐、医学書のページを開いたケロイド患者の畳み掛けるような患部の画像、階下から落とされる鍵の束など、ここには幾つもの印象的なショットが姿を現わす。それと共に印象的なのは、ポールを通過した数人の女たちである。最初に出会った若い女マーシー(ロザンナ・アークェット)、彼女のルームメイトで彫刻家のキキ(リンダ・フィオレンティーノ)、トムのバーのウェイトレスのジュリー(テリー・ガー)、アイスクリーム売りの女ゲイル(キャサリン・オハラ)とたった一夜で複数の印象的な女性に出会う。彼女たちは聖母のような笑顔でポールに迫るが、その度に地雷を踏んでしまうポールこそが深い病を抱えているのだ。クライマックス、閉店間際のクラブ・ベルリン、寂しげな中年女ジューン(ヴァーナ・ブルーム)の地下室こそは母親の子宮のメタファーに他ならない。神経症のヤッピーは深い精神疾患を抱えながら、何人かの美女と精神的繋がりを持ちながら、やがて子宮を通って、新たなポールとして生まれ変わる。ワープロを起動し、いつものように浮かび上がった「Hello paul」の文字だけが男の破壊と再生を残酷に見つめている。

該当の記事は見つかりませんでした。