【第704回】『ハスラー2』(マーティン・スコシージ/1986)


 タバコの白い煙、灰皿いっぱいの吸い殻、どこかの街にある場末のビリヤード場、こじんまりしたバー・カウンターではエディ(ポール・ニューマン)がママに熱心にバーボンを売り込んでいた。そのペテン師のようなセールス・トークにかつての勝負師の面影はすっかり消え去っている。しかしその目の奥に潜む勝負師の目はまだ死んではいない。かつてミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)と死闘を演じてからちょうど25年、「ファスト・エディ」の異名を誇った凄腕ハスラーのエディは賭けビリヤードから綺麗さっぱり足を洗い、酒のセールスマンとしてケチな商売をしていた。ママを口説きながら、大口の酒の売買に躍起になるエディの後ろでは、ジュリアン(ジョン・タトゥーロ)の負けが込み、エディに金をせびる。カモる男とカモられる男の対照的な構図。ジュリアンをこの晩、窮地に追いやる男は呑気に「ストッカー」と呼ばれるゲームをしている。最初は台の上の攻防にまったく興味がなかったエディだったが、キューが9ボールを弾く音を聞き、ただ者では何かを感じ取る。ジュリアンをカモにした男の名はヴィンセント(トム・クルーズ)と言う。彼の傍らにはいつも恋人カルメン(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)が見守っている。エディはヴィンセントが持つ天性の才能に一目惚れする。エディは血気盛んなヴィンセントの姿に、25年前の自分を重ねていた。

 今作はロバート・ロッセンの1961年の『ハスラー』の正当な続編に当たる。前作はミネソタ・ファッツとの2度の名勝負を主軸としながらも、その根底に流れていたのは自称「女子大生」のサラ・パッカード(パイパー・ローリー)との自己破滅的な愛に他ならない。破滅への衝動を抱え込んだ2人の若者の出会いはまさに運命であり、エディもサラもその生き方には強い破滅衝動が滲む。死の匂いがする激闘の末、クライマックスでエディに束の間の幸福が訪れるが、待っていたのは奈落の底へと突き落とされるような深い深い絶望だった。あれから25年、一見傷が癒えたように見えるエディは愛人のジャネル(ヘレン・シェイヴァー)とバハマへの移住を考えている。社会の底辺を25年間生き永らえて来た男は国家を嫌い、家族をも嫌い、ジャネルやジュリアンなどはぐれ者たちと勝手気ままな生活を送っている。賭けビリヤードは辞めても、彼には持ち前のペテン師のような営業力と深い洞察力がある。実はウォルター・テヴィスによる今作の原作小説では、ヴィンセントもカルメンも出て来ない。スコシージにより大幅に改変された脚本では、まさに若い頃の自分とサラ・パッカードの破滅的な恋愛と瓜二つなヴィンセントとカルメンの盲目の愛が登場する。確かに今作では天賦の才能を持った若者ヴィンセントの高い能力にエディは心惹かれるのだが、同時にその退廃的ながら幸福な姿が若い頃の自分たちとシンクロし、エディの古傷をえぐる。

 物語の本線は老い先短い老獪なハスラーが才能ある若者に対し、ゲームの勝ち方、負け方、そして負けて金をかせぐ方法といったいわゆる「ハスラー」10か条を生きた経験として叩き込む。ビリヤードのテーブルの上には無数の人生があり、栄光と挫折の歴史に飲み込まれていった負け犬たちの涙さえ滲む。映画は未熟で経験値もない若者だが、才能だけはある男が、熟練した名人の手引きによって「ハスラー」のイロハを叩き込まれ、やがてアメリカ全土に轟くような才能になってゆくのかと思いきや、スコシージの脚本はそういう安易な続編の定型を完全に外れる。この後に続いた『最後の誘惑』や『グッドフェローズ』同様に、今作の真骨頂はラスト30分のエディの精神の変化ではないかと思うほど、予想も付かない展開が現実の渦に3人を呑み込んでゆく。スコシージの映画では決まって男2人、女1人の緊密な三角関係が顔を出す。最初は上手く行っているように見えた三角関係にやがて大きな亀裂が走る。今作において当初エディは、心底卑劣だったバート・ゴードン(ジョージ・C・スコット)のペテン師ぶりをなぞっているように見える。エディにとって、盗人として知り合ったヴィンセントとカルメンは最初はただの金づるでしかなく、簡単にコントロール出来る浅はかな存在でしかないのだが、徐々に一筋縄ではいかないバカップルの制御不能ぶりが明らかになる。

 極め付けはアモス(フォレスト・ウィテカー)のテロ行為がエディの精神を徹底的に痛めつけることにある。今作におけるエディのヴィンセントへのエドゥケーションは決して美談にはならない。彼はカルメンの姿に亡きサラ・パッカードの姿を重ね、60手前にして夢にまで見たバハマでの老後の平穏無事な暮らしから、狂乱に満ちた勝負師の世界へ不本意ながら「カム・バック」する。傑作と称される前作には及ばないものの、ただのウェル・メイドな続編を男たちの狂乱で塗すスコシージの演出は何度観ても最高の一言に尽きる。心底軽薄なトム様の怪演ぶりは、ポール・トーマス・アンダーソンが99年の『マグノリア』において忠実に再現されるのだが、ポール・ニューマンからトム・クルーズへ、今作のエディとヴィンセントの関係性のように、ハリウッドの新旧イケメン・スターの帝王学も見事に受け継がれた。

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