【第726回】『フォレスト・ガンプ/一期一会』(ロバート・ゼメキス/1994)


 ひらひらと舞い落ちる鳥の羽、白い羽は重力に逆らいながら、道ゆく人たちに触れようとしたところで右へ左へゆっくりと身をかわす。カメラはやがてサバンナのバス停をロング・ショットで映すと、フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)がウッド・チェアに腰掛けながら。ヘンリー通り行きの9番のバスを待っていた。ひらひらと舞い落ちた白い羽はやがて彼の手の上に落ちる。フォレスト・ガンプは革製のアタッシュケースを開けると、1冊の本のしおりとして白い羽を大事そうにしまう。長椅子の隣に座るのは黒人の女性。彼女はおしゃべり好きなガンプとの会話を拒否するように、本を読み始めるがガンプの話は止まらない。やがて彼は自身の幼少期を語り始める。アラバマ州グリーンボウ、幼い日のフォレスト・ガンプ(マイケル・C・ハンフリーズ)は、家を出て行った父親に代わり、母親(サリー・フィールド)に女手一つで育てられた。息子のIQが75だと告げられた時も、背骨が曲がり、足の矯正器が必要だとわかった時も少しも動ぜずに普通の子供として育てた。養護学校へ行くようにアドバイスを受けた母親はそれでも息子を普通校に通わせると言って聞かない。小学校に転入した日、黄色いスクール・バスに乗った足の矯正器を両足に付けたガンプの姿を小学生たちは嫌がり、誰も隣に座らせてくれない。そんな中、1人の少女ジェニー(ハンナ・R・ホール)が自分の隣の席に座るよう優しく声を掛ける。

 今作はフォレスト・ガンプという一人の男を通してアメリカの歴史を見つめる。幼い頃から父親のいなかったフォレスト・ガンプの母親が病死し、酒浸りの父親に育てられたジェニー・カラン(ロビン・ライト)とは傷を舐め合った姉弟のような良好な関係を築く。ジェニーは幼い頃から何故だか家に帰りたがらず、夜になると家を抜け出して、ガンプの部屋にやって来ては2人で添い寝した。生まれつきIQが低く、両足に障害を持つガンプは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティの父ジョージのように同級生たちにいじめられ、石を投げつけられる。そんな時、傍にいたジェニーはガンプに「思いっきり走るのよ」と大声で鼓舞する。そのジェニーの声がきっかけとなり、ガンプは自分の弱点を克服し、やがてアメリカの歴史に名を残すような様々なチャンスを掴み取る。前作『永遠に美しく…』ではILMのCG技術によりアインシュタインやエルビス・プレスリーらが現代に姿を現したが、今作ではエルビス・プレスリーを筆頭に、ジョン・F・ケネディやリチャード・ニクソン、ジョン・レノンや既にこの世を去ったアメリカ史に名を刻む有名人たちとフォレスト・ガンプがCG技術により奇跡の共演を果たす。フォレスト・ガンプとジェニー・カランとはアメリカが広島と長崎に原爆を投下し、第二次世界大戦が集結した1945年生まれの若者たちである。

 アメリカでは1946年から1964年の18年間あまり、爆発的なベビーブームと呼ばれた人口急増現象が起こる。1952年生まれのロバート・ゼメキスはまさにこのベビーブーム真っ只中の時代に生まれた約7820万人もの若者たちの1人だった。映画はまさに第二次世界大戦終結後から、50年代〜80年代までの団塊の世代の若者たちの青春を描く。エルビス・プレスリーからビートルズやストーンズのブリティッシュ・イノベーション、LSD、ヒッピー・ムーブメントからヴェトナム反戦運動、ウッドストックとラブ&ピース、フリー・セックスに学生運動、ブラック・パンサーにウォーターゲート事件、毛沢東の共産主義時代をフォレスト・ガンプが過ごした背景として駆け足に描く。innocentでpureなガンプの人物造形は天才であるよりもまず、「天使」のような存在として描かれる。幸せの白い羽を手にする男は不幸だった幼少期の殻を破り、50年代~80年代の激動の30年間を天真爛漫に生き抜いてゆく。だがその傍らで時代の波に呑まれ、夢散り行く若者たちも数多く存在した。今作でガンプが演じるのが光の部分ならば、陰の部分を演じるのはジェニー・カランとダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)に他ならない。ジョーン・バエズのようなシンガーになることを夢見ながら、時代の波に呑まれたジェニー、潔く戦場で死にたかったとガンプに問い詰めるダン中尉の様子は『ハリウッド・アドベンチャー 3つの扉』の臆病者だった中尉とは相似形の様相を呈す。彼の車椅子には「our kind of place」という皮肉めいたステッカーも貼られている。

 3年2ヶ月無我夢中で走り続けた男は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の理想的な50~60年代を蘇らせたような架空の街グリーンボウを帰るべき場所と設定し、傷ついたジェニーに「君のいるべき場所はここではない、グリーンボウなんだ」と話しかける。今作に何度も登場する「家に帰りたい」という象徴的な言葉は、アメリカ社会で漂流し、傷つき疲れ果てた人たちに帰るべき場所を用意する。『ザ・ウォーク』においてクライマックスにワールド・トレーディング・センターの在りし日の姿が映し出されたように、今作でガンプが住むグリーンボウの街は「かつてアメリカにあったが、今では失われてしまった何か」を強烈に連想させる。もう100回以上観ているが、毎回違うツボで涙腺が崩壊する。今作には戦後ベビーブーム世代がかつて手にしていたが、今は失われたアメリカ社会の光と陰がフォレスト・ガンプの生き様とシンクロし描かれている。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズにおいて19~21世紀をエンタメ作品として蘇らせたロバート・ゼメキスは今作においてより狭義なアメリカ現代史に肉薄し、見事、第67回アカデミー賞の頂点に輝く。90年代のリベラリズムの挫折と混迷が、今日のアメリカ合衆国でドナルド・トランプを大統領に押し上げたというのは穿った見方だろうか?今作は2017年の今だからこそ再び観るべき90年代の傑作としての圧倒的な風格を讃えている。

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