【第729回】『ホワット・ライズ・ビニース』(ロバート・ゼメキス/2000)


 漆黒の闇に徐々に浮かび上がる静かな波が、やがてゆっくりと茂みの中へとオーバーラップする。浮き上がるクレア・スペンサー(ミシェル・ファイファー)のクローズ・アップ。バスタブに浸かる彼女はうたた寝し、溺れそうになり急に目が覚める。曇りガラスにドライヤーを当てようとするが、なぜか電気が点かない。電源スイッチを触った瞬間、漏電する。びっくりした彼女はまだ微睡みの中にいる眠り姫のようである。カナダとの県境にあるヴァーモント州の湖畔の町、元々は父ウェンデル・スペンサーの持ち物だった豪邸を改装し、夫婦は娘の大学進学を契機に、この地へ引っ越して来た。娘がいよいよ寮に入る朝、クレアは溺愛するケイリトン・スペンサー(キャサリーン・トーネ)をいつものように起こす。ワッフルを作るわよと話しながら、愛犬と戯れ合う母親は隣家の庭で口論する夫婦の姿を目撃する。夫ウォーレン・フューアー(ジェームズ・レマー)と妻メアリー・フューアー(ミランダ・オットー)の険悪さをじっと眺めているクレアの首に太い腕が回り込む。クレアの夫ノーマン・スペンサー(ハリソン・フォード)は午前11時までには家を出ないと渋滞するぞと忠告しながら、愛犬の日課の散歩へ向かう。愛娘を手放した夜、夫婦は久方ぶりの2人っきりの夜を楽しむのだが、隣家から早朝喧嘩していたはずの2人の荒い息遣いが聞こえて来る。

 好奇心から隣家を覗き見る主人公の造形と言えば、真っ先にアルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』が思い出される。他にもトリュフォーの『隣の女』、イエジー・スコリモフスキの『アンナと過ごした4日間』、マノエル・ド・オリヴェイラの『ブロンド少女は過激に美しく』などもその系譜に属する。直近の日本映画でも黒沢清の『クリーピー 偽りの隣人』や岸善幸の『二重生活』が思い出される。ヒッチコック・マナーを感じさせる作品ではブライアン・デ・パルマの『ボディ・ダブル』やダリオ・アルジェントの『ドゥー・ユー・ライク・ヒッチコック?』が印象深い。映画は娘を大学へ出し、夫婦2人きりになるのと時を同じくして、隣家にいかにも怪しい夫婦が越して来たところからクレアの周りで不可解な事象が相次ぐ。閉めはずなのに開いているドア、隣家の奥様の情緒不安定な様子、何かの警告のような愛犬の遠吠え、突然地面に倒れて割れるフォトフレームなど、ゼメキスもブライアン・デ・パルマのように、明らかなヒッチコック・マナーな伏線を散りばめる。翻って冒頭の場面での振る舞いからも明らかなように、最愛の娘を大学へ出したクレアは強い妄執に取り憑かれている。そんな妻を温かい目で見つめるのは大学教授であり、天才数学学者として名を馳せたウェンデルを父に持つノーマンである。今となってはゼメキスがハリソン・フォードの役柄に「ノーマン」と名付けたことが記号的回答を最初から暗示している。

 映画は冒頭から1時間あまりこそ、幾つかの伏線を散りばめながら、夫婦の関係性やクレアの精神状態を丁寧に描写していたが、中盤からは突然ホラー映画にシフト・チェンジしたような随分粗雑で突飛な描写が続く。何より1年前の忌まわしい事件の描写が一切明るみに出ることなく、ゼメキスお得意の回想シーンが一つもないことが腑に落ちない。中盤まで物語の起点となるはずだった隣人たちの振る舞いは途中からどこかへと消えてしまう(私はてっきりクライマックスに隣人や娘が助けに来るものと思ったのだが・・・)。あの風呂場の造形はヒッチコックの『サイコ』へのオマージュに他ならない。この世で愛する人に唯一プレゼントされたネックレス(天使の羽か?それともリーフか?)を掴み損ねた薄幸の少女がこの地でふつふつと私怨を浮かび上がらせ、妄執に取り憑かれたクレアとしばしあの世とこの世の境目でコンタクトを取る。今観直してみてもヒッチコックのような純然たるサスペンス映画と幽霊の登場するホラー映画との相性の悪さは否めないものの、顔が常に青ざめ、若干青筋を立てながらヒロインを演じたミシェル・ファイファーの好演が光る。21世紀を迎える直前、ゼメキスはあらゆるインタビューで今後はヒッチコックのようなサスペンス映画にも挑戦したいと並々ならぬ意欲を語っていたがゼメキスはこれ以降、サスペンス・ホラーにまだ一度も手をつけていない。

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