【第731回】『フライト』(ロバート・ゼメキス/2012)


 フロリダ州オーランドの大きなホテル、オーシャン・ビューなリゾート地のホテルの真上を早朝から飛行機が飛ぶ。7:13が7:14を示した途端、Barenaked Ladiesの『Alcohol』が大音量で鳴る。全裸のカテリーナ・"トリーナ"・マルケス(ナディーン・ベラスケス)はその音に目覚めるが、前日の疲労が溜まりしばらく動けない。彼女はゆっくりとマリファナに火をつける。キングサイズのベッドの傍らではウィップ・ウィトカー(デンゼル・ワシントン)が未だ目覚める気配がない。彼らは同じ便に登場する同僚だが、あろうことかアルコールをしこたま呑み、コカインでラリって一晩中セックスに興じていた。ウィトカーの携帯が鳴り、ようやく彼は目覚める。通話相手は別れた女房ディアナ(ガーセル・ボヴェイ)。大学に進学することになった彼の息子の学費をせびろうと電話をよこすも、息子が直接頼むべきだと言って聞かない。昨晩の残りのコロナ・ビールを吞み干し、机にあったコカインの白い粉を鼻の奥深くまで一気に吸い込んだ一睡もしていないウィトカーは天にも昇るような絶頂の最中にいる。トリーナと別行動で、定刻通り9時にフライトするサウスジェット航空のSJ227便に乗り込もうとする男はタラップで足を滑らせる。既に酩酊し、千鳥足の男はその素振りを隠すような一流パイロットの風格を讃えながらコクピットへ乗り込む。その日の副操縦士は初めてコンビを組むことになるキャリアの浅いケン・エヴァンス(ブライアン・ジェラティ)だが、彼はウィトカーの呼気の尋常ならざる匂いに戸惑いを見せる。

 今作を語る上では、やはり今作とクリント・イーストウッドの『ハドソン川の奇跡』との比較は外せない。健康に何の問題もなく、アルコールも一切嗜まずフライトする清廉潔白なベテラン・パイロットであるチェスリー・"サリー"・サレンバーガー(トム・ハンクス)に対し、ウィップ・ウィトカーは前日からのアルコールとコカインの影響が残る状態に、更に朝方コロナ・ビールと白い粉数mgに興じ、そのままの状態で空の旅へ出る。事故当時、フロリダ州には朝から大雨が降り、視界も悪く、翌日への延期を危惧するような悪天候だったが、既にハイになったウィトカーにはオーランド国際空港からハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港への40分の旅など大したミッションには思えない。タービュランス(乱気流)をいとも簡単に抜けた男は、一旦は乗客・乗員102名の命を救いかけるが、アルコールは呑めないというスピーチの席で、彼は死角となった左手でオレンジジュースにウォッカの瓶を3本混ぜる。傍若無人なウィトカーの振る舞いはあろうことか先程全体絶命の危機を救った操縦席内で、アイマスクをしながらウォッカに酩酊し、自動操縦の中眠りこける。そんな彼の傍若無人な態度に神様が天罰を与えるかのように、天候不良の中アトランタへ向かうはずの機体は突如コントロールを失う。ようやくそこで目が覚めたウィトカーは自堕落な飛行テクニックを開陳し、あろうことか期待を水平に保つために背面飛行まで試みるのだが、飛行機の両翼(天使の羽)のうち左翼は象徴的なキリスト教教会のシンボルを真っ二つにしながら地面で静止する。この時点で彼の意識は溷濁するのだが、彼は奇跡的に一命を取り留める。しかし天使の羽の片翼を失った彼の判断は案の定、国家運輸安全委員会(NTSB)の疑惑の目に晒されることとなる。

 だが今作の『ハドソン川の奇跡』との特異性とは、クリント・イーストウッドのような「法と正義の行使の不一致」に伴う司法と個人との判断の差異を問うのではなく、ウィップ・ウィトカーが自分はアルコール依存症であると認められたなかったウソつき時代から、ようやく彼が自分自身と向かい合い、虚飾に塗れた人生を清算することになるまでを丁寧に描写していることに尽きる。ここではもはや、彼の背面飛行は象徴的なキリスト教教会へのダメージを防がなかったかに焦点は割かれず、彼のアルコール・ドランカーでドラッグ・ジャンキーな自分自身とどう向き合うかにドラマの本流は巧妙にずらされる。『ハドソン川の奇跡』において、自分の身の潔白を証明するために開かれたクライマックスの会議がここでは、キリスト教会の懺悔室のように依存症となった弱いウィトカーに静かに語り掛ける。彼にはアメリカ全土を渡り歩くホテル暮らしがお似合いであり、帰るべき家を失ってしまっている。『キャスト・アウェイ』でチャック・ノーランド(トム・ハンクス)がフィアンセのケリー・フレアーズ(ヘレン・ハント)の家には永遠に戻れなかったように、今作でアメリカ社会からジャマイカへ逃亡しようと彼が誘うのが、ヤク中患者で元ポルノ女優のニコール・マッゲン(ケリー・ライリー)に他ならない。彼女がアメリカ社会に馴染めず、やがて傷つき底辺に落ちる様子はどことなく『フォレスト・ガンプ/一期一会』のジェニー・カラン(ロビン・ライト)を彷彿とさせる。彼女に帰るべき場所(祖父の住居)を与えたウィトカーだが、彼女は彼の誘いを断り、アメリカ国内で薬物を断つ決心をし、彼の元を離れる。副機長ケン・エヴァンスのステレオタイプなクリスチャンな描写などややステレオタイプな演出が目につくものの、救世主となるハーリン・メイズ(ジョン・グッドマン)と3階の非常階段で出会うジェームズ・バッジ・デールの悪魔のような怪演が光る。

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