【第733回】『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』( リチャード・リンクレイター/2016


 テキサス州オースティンの9月、まだ蒸し暑い盛りに一台のオールズモビルが道路をゆっくりと走る。野球推薦で南東テキサス州立大学(STU)へ入学することになった新入生のジェイク(ブレイク・ジェナー)は、完璧に開いたガラス越しからイケてる女の子たちの姿を覗き見てニヤリとする。カーステレオからはThe Knack の『My Sharona』のメロディ、後ろにはビール瓶の入れ物に入れられた一箱のレコード・コレクションと丁寧に梱包されたステレオとターンテーブルが見える。高校時代の彼はピッチャーとして活躍し、州大会2位の成績を収め、野球の強豪校である地元の州立大学への入学が決まっていた。そこは隣同士に建てられた野球部専用の寮。彼は恐る恐る野球部の寮Aのドアを開けると、水漏れした水が辺りに散乱していた。手を洗いたいジェイクは台所の蛇口をひねると、その瞬間地割れのような音が響き、2階が揺れる。先輩たちは慌てふためきながら外の蛇口を使えとジェイクに命令する。お前はどこのポジションだと聞かれ、「ピッチャーです」と答えた瞬間に先輩たちはお通夜のような表情を浮かべる。ジェイクはその姿に戸惑いながら、デイル(クイントン・ジョンソン)から同部屋となるビル(ウィル・ブリテン)を紹介される。テキサスの外れ出身の通称ビューターは田舎に残した彼女とパンツ姿で長電話をしていた。新学期まであと3日と15時間。期待に胸を膨らませていたジェイクは果たして大丈夫なのかと不安を持つが、そんな彼を待っていたのは夢のような青春の洪水だった。

 今作の監督を務めたリチャード・リンクレイターのフィルモグラフィには大まかに言って2つの流れがある。一つは『Slacker』や商業デビュー作『バッド・チューニング』、そして彼の名を一躍知らしめた『ビフォア〜』3部作、『6才のボクが、大人になるまで。』などの自分で書き上げた半自伝的インディペンデント作品と、もう一つは『ニュートン・ボーイズ』や『スクール・オブ・ロック』、『バーニー/みんなが愛した殺人者』などの映画会社から要請された商業映画である。今作の主人公ジェイクの物語は監督であるリチャード・リンクレイターの自伝的物語と言っていい。テキサス州ヒューストンに生まれ、高校時代に野球を志していたリチャードは無事に大学へと進学するが、そこで心臓に疾患が見つかり、大学野球を断念せざるを得なくなる。そこで彼は大学を中退し、油田で働きながらやがてオースティンに引っ越し、演劇サークルに属するアート系作家と恋に落ち、映画監督への道を決意する。『バッド・チューニング』では新学期前の夏休み最後の1日を描き、『6才のボクが、大人になるまで。』では息子であるメイソン・ジュニアの12年間(6歳から18歳まで)が余すところなく描かれた。ジェイクの物語はこの監督の数年間の過程をたった3日間と15時間の間に凝縮する。今作は並外れた青春群像劇でありながら、リチャードの視点は多分にフラットであり、ジェイクと共に寮生活する仲間たちを均等に描く。さながら今作は『6才のボクが、大人になるまで。』の後日譚のような印象を振りまきながら、女と酒とドラッグに溺れる若者たちの狂乱と云う点で言えば、『バッド・チューニング』にも近い。

 半分以上が髭面な学生たちの姿は『バッド・チューニング』の頃よりも数倍胡散臭い。かつてパラマウントの要請で『がんばれ!ベアーズ ニュー・シーズン』を撮った時はしっかりとスポーツ映画としての野球を主軸に据えていたのに対し、今作ではあえて本筋である野球のスポ根ドラマから脇道に逸れ、専ら野球以外の場面で学生たちがムキになるのがとにかく可笑しい。一見アドリブのようにも見える流れるような会話劇はイーストウッドのような定型の台詞を元にした早撮りではなく、用意周到に計算されたシークエンスごとの綿密なリハーサルに基づいて組み上げられる。まるでクエンティン・タランティーノの『レザボア・ドッグス』におけるMadonnaの「ライク・ア・ヴァージン」の馬鹿話のような冗長さが全編を貫く前半戦が個人的には随分魅力的に映った。今作の時代背景である1980年は、80年代の始まりの年のように見えるが、むしろ1970年代の終わりのイメージが強い。その裏付けとして有効なのはリチャードの最大のライバルと言えるポール・トーマス・アンダーソンの『ブギーナイツ』である。1977年のサン・フェルナンド・ヴァレーからスタートした物語はやがて70年代の華やかなりし時代を跨ぎ、80年代を迎えるのだが男たちの凋落が始まるのは81年からである。80年と81年を最も大きく隔てる音楽的事件はMTVの開局に他ならない。『ソウル・トレイン』の隆盛から渋とく続いたディスコ・ブーム、それより遥か昔から田舎町を中心に局地的に流行ったカントリー・ミュージック、そして77年にピストルズがもたらしたパンク、79年に初めてレコード化されたSugarhill Gangの『Rapper's Delight』などある種の音楽界のガラガラポンがもたらした異次元の音楽革命をリチャードは物語の背景に巧みに用いる。

 まるで『バッド・チューニング』のデイヴィッド・ウッダーソン(マシュー・マコノヒー)そっくりのフィネガン(グレン・パウエル)の人物造形にもだいぶノックアウトされたが、それ以上に強烈だったのは年齢を詐称し、野球部に転入したマリファナ中毒のウィロビー(ワイアット・ラッセル)である。初めてスクリーンで観た時に一瞬でお父さんであるカート・ラッセルの若い頃の面影に気付いたが、よくよく調べたら彼はカート・ラッセルとゴールディ・ホーンの愛の結晶であることがわかり、二度驚いた。Pink Floydを崇拝し、物凄い肺活量で一気に煙を吸い上げたウィロビーは60年代のヒッピー文化に並々ならぬ敬意を抱きながら、同時代であるVan Halenをメディアが扇動的に盛り上げた商業主義に過ぎないとこき下ろすのだ。今作のタイトルである『Everybody Wants Some!!』は云うまでもなく、そのVan Halenを代表する名曲として知られている。この本末転倒なシニカルなユーモアこそがリチャード・リンクレイター作品の根底に脈打つ。

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