【第757回】『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン/2011)


 アメリカ西海岸のとある町、ホテルの部屋の窓側。夜の闇を見つめる男は携帯電話で依頼主に向かって優しく話しかける。10万の通りがある町だから、逃げ道は幾らでもある。5分間は何が起きようとも待つ。だが5分を過ぎれば自分は躊躇なくその場を離れると。その口ぶりはいかにもプロの逃走請負人そのものである。夜の闇の中、やがて男は静かにステアリングを握る。名無しのドライバー(ライアン・ゴズリング)は夜の闇に溶け込むような300馬力のインパラを選ぶ。請負人が強盗に立ち入ったあと、彼は腕につけていた時計を外し、ステアリング中央にかける。トランシーバーで警察無線を盗聴する男は、南アラメダ4-2-1で強盗が発生との一報を共有する。それでも5分と設定した男は焦る様子がない。2人組の強盗の1人は大急ぎで戻って来るが、もう1人はまだ出てこない。時計は4分30秒を回り強盗犯は苛立ち始め、警察もあと1歩のところまでやって来るが、ドライバーの男は何食わぬ顔でギリギリでやって来たもう1人の男を後部座席に乗せ、勢い良く走り出す。「逃走車両はシルバーのインパラ」だと警察にすぐにバレた絶体絶命の3人だが、ドライバーの手捌きは実に鮮やかで抜かりない。何度も警察車両を煙に巻いたあと、ヘリコプターに一度は位置情報を共有されるものの、停止と猛スピードのメリハリで夜の街を我が物顔で逃げ去るのだった。男は依頼者から謝礼を受け取った後、プリペイド携帯と車両を消去し、また別の人格となって次の街へ現れる。こうして男は転々と住む場所を変えながら、ボストン・バッグ一つでアメリカ西海岸の裏社会を駆け巡る。

 天才的なドライビング・テクニックを持つ寡黙なカー・ドライバーは、昼は自動車修理工場で糊口を凌ぎながら、空いた時間には映画のカー・スタントマンとしてしっかりとした表の顔を持つ。彼には映画の仕事を斡旋する個人プロダクションのような仕事をするシャノン(ブライアン・クランストン)という初老の相棒がおり、稼ぎはいつも折半している。一見平和で温厚な男に見えるが夜は表の顔から一転し、強盗の逃走を請け負う危険な運転手としての裏の顔を持つ。この昼と夜の人格の劇的な変化には真っ先にマーティン・スコシージの『タクシー・ドライバー』を連想せずにはいられない。男は一見寡黙で気の良い人物にも見えるのだが、明らかに内側には深い病理を抱えていることが、夜の街を窓際から見つめるドライバーの背中からはひしひしと感じ取れる。同じ街で住む場所を何度も変え続ける男は、窓から見える夜景を物憂げな表情でしばし見つめた後、エレベーターに乗り込むが、3つ隣の部屋から同時に乗り込んで来たアイリーン(キャリー・マリガン)の姿に心を奪われる。夜の闇に溶け込むべき男は、この時点で運命の女アイリーンと出会ってしまう。男の裏稼業にとって一番致命的なのは隣人に顔バレすることなのだが、ドライバーは彼女の姿に何らかの天啓を得る。翌日スーパー・マーケットで偶然にもアイリーンとその息子ベニチオ(カーデン・レオシュ)の仲睦まじい様子を見た男は、陳列棚の向こう側から親子の会話を盗み聞きする。駐車場から走り去ろうとした時、後ろで母子の車はエンストし、男は仕方なくこの母子の世話をする。

 昼と夜の街の二面性、不眠症を患う主人公が徐々に先鋭化していった『タクシードライバー』は、ヴェトナム戦争で深い傷を負った若者たちを代弁したが、今作の名無しのドライバーの深い孤独の原因や理由は最後まで明らかにされることはない。そもそも名前や年齢すらも霧に包まれたままである。中盤以降の主人公の妄執と復讐への加速度的なジャンプ・アップは、おそらくポール・トーマス・アンダーソンの傑作『パンチドランク・ラブ』を念頭に置いているに違いない。左手でステアリングを握る男の右手にアイリーンが触れた時、男の心には確かに愛情が芽生えるが、スタンダード・ガブリエル(オスカー・アイザック)の思わぬ出所が2人のロマンスを随分あっさりと挫く。警察のお世話になり、一向に父になりきれない男スタンダード、一方でベニチオから実父に向けられるような深い尊敬の眼差しを受ける父になりきれない孤独なドライバーとが、いがみ合うのではなく、交差し共闘するアイデアはなかなか斬新である。ノワール・サスペンスにおいては、しばしば男と女が一緒に車に乗った時が落とし穴になるが、薄幸でピュアなアイリーンに代わり、ファム・ファタールの役を強引に奪い取ったブランチ(クリスティーナ・ヘンドリックス)の突然の存在感が素晴らしい。2人の会話を阻むありがた迷惑なエレベーターの来訪の後、浮き上がる背広の右胸から覗く黒い物体をはっきりと確認した男は、アイリーンの唇に情熱的なキスをする。パイプオルガンのメロディが流れ、やがてオレンジ色の光が煌々と輝きを放つあまりにも美しい名場面を断ち切るかのように、次に男が取った行動は随分暴力的で容赦がない。唇を奪われ、幸せの絶頂にあったアイリーンの表情が次の瞬間、見る見るうちに別人のような怯えきった目に変わる。その後の物語を追うのが躊躇わられるほどの表情を纏った男女は、開閉ボタンを前にして一瞬だけ素の表情を垣間見せる。今作の醍醐味はまさにその数秒の男と女の断絶に集約されている。

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