【第852回】『ホテル・シュヴァリエ』(ウェス・アンダーソン/2007)


 ホテルのロビーを正面から据えたフィックス・ショット。ホテルマンはPCに何かを一心不乱に入力し、ベルボーイは一点を見つめたまま微動だにしない。バスローブから伸びたベッドに横たわる白い脚、やがてロビーの電話のベルが鳴る。フランス・パリの高級ホテル・シュヴァリエ、403号室ではキングサイズのベッドの上にジャック(ジェイソン・シュワルツマン)が横たわり新聞を読んでいる。彼は右側に寄りながら、誰かがいるはずだった左側の空間に大好きな本を並べている。あたり一面に散乱した荷物が長期滞在を物語る。平穏な時間にホテルから直通電話のベルが鳴る。声の主はジャックのガールフレンドのナタリー・ポートマンだった。彼は物憂げな表情を浮かべながら、ガールフレンドの問いかけにぶっきらぼうに答える。とうとう部屋の番号を教えると、もう既にパリにいるという彼女のために慌てて用意をする。TVを消し、間接照明を付け、シャワーの蛇口を捻る。i-podから流れるのは1969年の英国のフォークシンガーPeter Sarstedtの『Where Do You Go To My Lovely』の懐かしい牧歌的な歌が室内に響く。

 今作は傑作『ダージリン急行』の前日譚として、マーク・ジェイコブスとルイ・ヴィトンの衣装提供の元、13分の短編として撮影された。劇場でも『ダージリン急行』の前に流れた。『ダージリン急行』では父親の死後、急に交流を絶ったフランシス、ピーター、ジャックのホイットマン3兄弟はそれぞれに苦悩を抱えていたが、3男ジャックの傷こそは、最愛のパートナーだったナタリー・ポートマンとの別れに他ならない。バスローブからスーツへのユニフォームの驚くべき転換、J.L.W.3と書かれた薄茶色のトランク、キングサイズのベッドを包む黄色と白のストライプ、四角い箱に収納されたアゲハチョウの標本、ゼンマイ仕掛けのオルゴール、緑の油絵具で描かれた油絵、i-podを実装したボータブル・スピーカーなど幾つもの四角形をした小物が飾られた室内は、ウェス・アンダーソンのショットの中に入れ子空間を生み出す。フィックスされたカメラによって切り取られたフレームの中には、更に二重三重に切り取られたミニチュア的空間が拡がっている。

 『ライフ・アクアティック』の潜水艦内部、『ダージリン急行』の個室、『ムーンライズ・キングダム』のスージーの家同様に、まるでジョゼフ・コーネルの箱庭的アートの映像版のような見事な世界観。『勝手にしやがれ』の頃のジーン・セバーグを彷彿とさせるナタリー・ポートマンの美しい裸体、カメラの方向に唐突につけられた青アザ、美しいパリの夕景。バスローブからスーツに着替えた男は、スロー・モーションの中彼女の白い背中にそっとバスロープをかける。郷愁に溢れたPeter Sarstedt『Where Do You Go To My Lovely』のメロディ、「友達として失いたくない」という彼女の言葉に、男は「君の友達には死んでもなりたくない」と即決で答える。5mほど距離のある2人のリバース・ショットなど人物の動線、カメラの動き、完璧な装飾にショット構成、Pascal Rogéの『e pour une infante défunte』のさりげない使用まで、全てが用意周到に整然と並べられた13分間の至福の短編。今作から7年後、ホテル内部の見事なフレームワークは『グランド・ブダペスト・ホテル』に見事に結実する。

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