【第768回】『きっと、うまくいく』(ラージクマール・ヒラーニ/2009)


 インド発チェンナイ国際空港、エア・インディアの便にファラン・クレイシー(R・マドハヴァン)が乗り込む。飛行機が離陸した直後、突然彼の携帯電話が鳴る。CAさんの顔色を伺いながら、電話を取った男は電話口の話を聞いて一気に青ざめる。もはやUターン出来ないエア・インディア便内、足元も不確かな状態で突然男は立ち上がり、卒倒したフリをする。Uターンした先のチェンナイではドクターたちが待ち構えているが、彼は突然病気は治ったと嘯きながらその場を立ち去る。男は慌てて空港を出ると、その足で大学時代の同窓生であるラージュー・ラストーギー(シャルマン・ジョシ)を迎えに行く。10年ぶりにファランに電話をかけたのは、チャトル・ラーマリンガム(オミ・ヴァイディア)通称サイレンサー。ウガンダ生まれでヒンディー語があまり得意ではないチャトルは学生時代に事あるごとにバカにされ、いじめられ続けた。彼はファランとラージューを母校の屋上の鉄塔のところに呼び出す。ファランは外国での仕事を蹴り、慌てたラージューはトランクス1枚で駆け付けたのだが、ただのぬか喜びに失望が隠せない。しかし大会社の副社長を務めるほど成功した男は、10年前に受けた屈辱を見せつけるためにこの地にやって来た。セメントに落書きされた「9月5日」の文字に2人は10年の時をタイムスリップする。

 今作は幻の人ランチョルダース・シャマルダース・チャンチャル(アーミル・カーン)を探す旅に他ならない。10年前、卒業式の後、突如蒸発したランチョーの消息を誰も知らない。切羽詰まったランチョー探しの道中で男たちは10年前の思い出を振り返る。インド屈指の難関工科大学ICE(Imperial College of Engineering)に熱烈な家族の後押しを経てやって来た彼らは、先輩たちによるかなり手荒な歓迎を受けているが、そこへやって来たのがランチョーだった。従属意識の強いファランやラージューとは違い、反骨の自由人であるランチョーは最初から持ち前の頭脳で先輩たちに加え、ICE学長であるヴィールー・サハスラブッデー(ボーマン・イラニ)通称ウイルス学長にも抵抗する。IT大国であるインドのエリート理系男子たちの日常生活を綴る物語は、当然エリート主義の中に何人かの落ちこぼれを作る。正しい点数の取り方を教え、権威主義の権化である競争の渦に生徒たちを強引に巻き込む事で就職率No.1を誇示し続けたウイルス学長のエリート主義の弊害をランチョーが正論で論破するディスカッションの場面は息を呑む。やがて今で云うところのドローン技術に人生の全てを賭けたジョイ・ロボ(アリ・ファザル)の弛まぬ努力はウイルス学長の一言で暗転する。ジョイ・ロボを救えなかったランチョーの苦い思い出は、ジョイ・ロボ以上に親しいラージューを絶望の淵から救う。意識不明のラージューを勇気付けるランチョーの場面は何度観ても涙腺が緩む名場面に違いない。

 劇中、インドの若者の自殺率は非常に高いと言っているが、2015年の調査では日本やロシアよりも高いが、ガイアナや韓国よりは低い。IT大国の華やかな活動の陰では、エリート主義から落ちこぼれ、未来を悲観した若者たちの自殺が後を絶たない。自殺の多い国の大半は正常不安や経済の低迷が続くアフリカ諸国であり、いわゆる先進国の中では韓国とインドの自殺率が突出している。躁状態のボリウッドの光に隠れたインド社会の現実を今作は突きつける。ヒンディー語があまり得意ではないチャトルにランチョーの入れ知恵で「ゴーカン」となんども連呼させた言葉は、レイプ被害の多発するインドの現状を痛烈に風刺する。1978年生まれのファラン・クレイシーの人生は彼が生まれ落ちたその瞬間から決められたレールの上を歩かされる。郵便局員だった父親の下半身麻痺により、一家全体が路頭に迷うラージュー・ラストーギーの貧困状態は云うまでもない。当然ながら親の望む理想的な子供の将来と、子供達が率先して見つけた未来とは大きく乖離している。個人的には、生まれた瞬間からエンジニアになる夢を否応なしに命ぜられたファランが、両親に自身の夢を懇願する場面にうっかり涙腺が緩む。救えなかった生があった一方で、彼らはヒロインであるピア・サハスラブッデー(カリーナ・カプール)の兄貴の再来のような赤ん坊の誕生を全身全霊で請け負う。ちょうど折り返し地点に設定されたランチョルダース・シャマルダース・チャンチャルの名前にまつわるミステリー、まるで80年代の香港映画を観るような力業満点の強引すぎる展開の妙とクライマックス、監督であるラージクマール・ヒラーニの名を胸に刻んだ2000年代の傑作インド映画である。

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