【第788回】『ゴースト・イン・ザ・シェル』(ルパート・サンダース/2017)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

 近未来の2069年、人々は自分の身体に機械のパーツを埋め込み、人間とアンドロイドの境界線が徐々に曖昧になって行く。巨大軍需企業のハンカ・ロボティックスでは政府の資金援助を受け、義体化する実験が今日も行われていた。脳の記憶だけが残り、身体は全てロボット化するという壮大な実験に初めての成功例が現れる。長きに及ぶマッチング・テストの後、少佐(スカーレット・ヨハンソン)は公安9課のリーダーとして配属される。2070年香港、夜の街を一望出来る場所に少佐は佇む。ネオンに彩られた幻想的な街の風景、湿り気を帯び、蒸気が発生する路地、漢字やカタカナによるビルボードなどは真っ先にフィリップ・K・ディックの傑作SF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を映画化した『ブレードランナー』を想起させる。電脳の力により、離れた場所でも荒巻大輔公安9課長(北野武)の指示を仰ぐ彼女は、ハンカ・ロボティックスの研究員たちの護衛として向かいのビルの様子に目を光らせていた。芸者ドロイドによる給仕に気を許した瞬間、黒服姿の屈強な男たちが研究者たちに襲いかかる。少佐は荒巻の制止を振り切り、殺し屋たちの一掃を試みるが、既に研究者の脳情報は芸者ドロイドによりハッキングされていた。

 士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』を原作とし、押井守の劇場版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を下敷きにした物語は、ゴースト=魂を巡るアイデンティティ・クライシスが通奏低音にあったオリジナルの物語を、いわゆるハリウッドの流儀に見事に置き換えている。序盤はまるで暗黒面に落ちた『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーのようなダークなビジュアル造形を持ったクゼ(マイケル・ピット)の二次元と三次元の往来、平行世界の異端児としての彼の畏敬の恐怖を明らかにしながらも、中盤以降はあっと驚くような脚本の妙を見せる。人類初の義体化されたヒロインは究極のサイボーグ化という難題を引き受けながら、自身のルーツに思い悩む。少佐の代父となるのはミステリアスな荒巻であり、異物を取り込まれ、急速にサイバー・パンク化するヒロインの身体を優しく治癒させるのは、地上の母とも呼ぶべきオウレイ博士(ジュリエット・ビノシュ)に他ならない。通常のSF物語ではただ単に人間と機械の融合を見守ったに過ぎない女博士にフランスの名優ジュリエット・ビノシュを起用したドリームワークスとルパート・サンダースには賞賛を禁じ得ない。物語上は単なる目撃者にしか過ぎない博士役に、ビノシュが実の娘のような愛情を注ぐ代母を演じさせたことにより、ゴースト=魂は途端に息を吹き返す。スカーレット・ヨハンソンとジュリエット・ビノシュのまるで母娘のような交流は原作の設定にはないサムシングを炙り出す。記憶をなくした主人公が徐々に記憶を取り戻す様子は、直近の『ジェイソン・ボーン』シリーズのマット・デイモンや『バイオハザード』シリーズのミラ・ジョヴォヴィッチを彷彿とさせる。

 公安9課の面子たちの義体化のレイヤーの共感と差異を徐々に明らかにしながら、人間と機械の曖昧化した世の中において、身体をどう扱うべきなのかという哲学的な問いにルパート・サンダースは誠実に応えている。効率で言えば、全てスタジオのグリーン・バックの前でやるべき活劇の作業を、今作はあえてニュージーランドと香港の二箇所にロケーションを設定し、実写部分を執拗に何度も撮り直している。しかし撮られた映像マテリアルは、ハリウッドでは大胆に3DCGで加工しまくっている。特筆に値するのは、1つ1つのショットの練りに練られた緻密な背景描写に尽きる。スカーレット・ヨハンソンを筆頭にして、マイケル・ピットもジュリエット・ビノシュも北野武も演者たちは誰一人として自分の今の演技がスクリーンに定着した姿を想像出来なかったはずだが、実際の映画そのものは尋常ではない背景の書き込みの情報量により、現実と仮想との区別はほぼ判別出来ない。今作が我々に例示するのは、現代においては実写映画そのものがアニメーションに近付きつつあるという確信めいた警告に違いない。スティーブン・スピルバーグはやはり今作の後半部分の脚本を大幅に書き直させたという専らの噂だが、代母と実母の間に揺れる少佐が母親の羊水のような地中深くに潜り、浮き上がったところからクライマックスが駆動する展開は実にスピルバーグらしい一流の脚本に違いない。

 しかしスカヨハやビノシュの英語よりも、遥かに聞き取りづらい北野武の日本語には流石に愕然とした。役者に定年などないが、流石に限界じゃないかと要らぬ心配をしてしまう。武が出ないプロモーションに、彼の代わりに長州力を指名した東和ピクチャーズの笑えない冗談のような露悪的な国内プロモーションにも終始、苦笑いを禁じ得なかった。我々は『ソナチネ』や『キッズ・リターン』を撮った世界的な映画監督である北野武を、ただの1コンテンツとして消費し尽くしても良いのだろうか?今回の大作で改めてそんなことを考えた。
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