【第792回】『ホワイト・バレット』(ジョニー・トー/2016)


 香港にある外科病院、緊急の手術室では脳外科の女性医師トン(ヴィッキー・チャオ)が手術を執刀している。院長に代わるかと尋ねられるが、自信家の彼女は上司の助言を断り、自ら執刀する。トンたち医療チームと緊急病棟の患者たちの顔合わせ。飄々とした73歳のお爺ちゃん、植物人間ら個性的な面子の中で、ただ一人ある男だけはトンを見るなり、恨みの言葉を隠さない。トンに勧められた手術の影響で両脚が麻痺を起こし、動かなくなった(そんなはずはないだろう 笑)青年はトンをなじる。そんな折、1台の救急車が病院に搬送される。警察との銃撃戦中に凶悪強盗団一味のチョン(ウォレス・チョン)が頭に被弾し、緊急搬送されたのだった。彼を撃ったチャン警部(ルイス・クー)はチョンに瀕死の重傷を負わせた挙句、一味にも逃げられてしまった。エリート・コースを歩むチャン警部はこのままでは帰れないと、自分がチョンを撃ったことを上司に誤魔化し、女性医師トンの技術に賭けようとしていた。緊急手術室のドアが閉まり、全身麻酔の注射を打たれたチョンは突然暴れ出し、頭部に撃ち込まれた弾丸の摘出手術を拒否する。いかにもジョニー・トーらしい劇画的で稚拙な脚本だが 笑、権力構造下で事件をもみ消し、何とか犯人を炙り出したい警部。大陸から香港へ引っ越して来て、エリート街道を突き進みながら執刀ミスで自信喪失気味の女医。病院のベッドに手錠で縛られ、仲間の救出を待つ妙に哲学的な組織の容疑者の三者三様の駆け引きを明らかにする。

 本来ならばICU(集中治療室)に入れられるべき重病患者たちが、パーテーションのない1つの空間に収められていること自体が、ジョニー・トー信者にとっては何かきな臭い匂いを最初から漂よわせているのだが 笑、それにしても脚本の冗長な展開にはほとほと参った 笑。『奪命金』では投資銀行の内部、『香港、華麗なるオフィス・ライフ』では書き割りのような心底斬新なオフィス内部で事件は起こったが、それにしてもジョニー・トーの映画で一度も屋外に出ないのは初めてではないか?いわゆる1シチュエーションもののシンプルな構造の中で、全てが円環状に繋がっている見事なアンサンブル・プレイにジョニー・トーは果敢に挑戦しているものの、人には向き不向きがある 笑。脚本の整合性や演出は、ちょうど同じ頃に公開されたイエジー・スコリモフスキの『イレブン・ミニッツ』とは比べるべくもないが、ラスト9分間に唖然とさせられた『イレブン・ミニッツ』に対し、今作もラスト18分間の力業の描写には心底唖然とさせられた 笑。『アンディ・ラウの 麻雀大将』あたりからジョニー・トー組のアクション活劇の常連となったルイス・クーのニヒリストぶりは、明らかにアンディ・ラウとジョニー・トーの90年代の歩みを懐古するものだが、『名探偵ゴッドアイ』を観てしまった我々にはアンディ・ラウにはないルイス・クーならではの+αが欲しい。一切の笑みを見せないチャン警部と、ヒステリックに彼をなじる女性医師トンの対比には一瞬だけ歪な化学反応が香るものの、善と悪を超えた男同士の友情を前に、ヒロインの意思は今回も徐々に後退して行く。

 冒頭からの冗長な1時間10分に目を瞑れば、真にジョニー・トーらしい活劇の妙に心底唸らされる。その口火を切るのは、ケツにナイフをぶっ刺されたラム・シューの大逆転に他ならない。クライマックスのカタルシスはジョニー・トーの傑作であり代表作である『スリ』の傘の場面を彷彿とさせる。ザック・スナイダーの『300 〈スリーハンドレッド〉』にモロに影響されたクライマックス場面は、ハリウッドの流儀をわかりやすい形で香港映画のフォルムに移植しようとするジョニー・トーの職人的世界観が滲む。トーの映画では警察組織もマフィア組織も互いにチームワークを競い合いながら、やがて運動会のクライマックスのようなシンパシーへと帰結する。原題の「三人行」とは孔子の「論語」に書かれている「三人行えば必ず我が師有り」の事で、要約すれば「自分の心の持ち方一つで、あらゆる人がわが師となる。」という人間の心理に違いない。だが一切の哲学的な問いを一生に臥すようなジョニー・トーならではの馬鹿馬鹿しさの方を私は断固支持する。明らかにCGで足したわざとらしい出鱈目なデジタル処理も、近年のハリウッド映画ではなかなか見られない香港映画の香具師なプロダクションに、思わず笑みが溢れた 笑。

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