【第799回】『美女と野獣』(ジャン・コクトー/1946)


 フランスのとある豪邸、兄リュドヴィク(ミシェル・オークレール)とその友人であるアヴナン(ジャン・マレー)は庭先での弓矢の訓練中、長女フェリシエ(ミラ・パレリ)と次女アデレード(ナーヌ・ジェルモン)がくつろぐ部屋の中に弓を引いてしまう。社交界に向かう前、怒り心頭の姉たちは弟リュドヴィクを叱りつける。上流階級のいつもの醜い光景の中、ただ1人末娘のベル(ジョゼット・デイ)だけは床を丁寧に磨いている。プレイボーイのアヴナンはその健気な姿を見てプロポーズするが、父(マルセル・アンドレ)の世話があるからと丁重に断る。漁師の父は海で船を失い、一族は路頭に迷いかけるが、水没したはずの船が見つかり、明日取りに行くことになったという。父はお土産に何が欲しいかと尋ねた時、2人の長姉はドレスや宝石をねだるが、ベルだけは一輪の白いバラが欲しいと遠慮がちに伝える。翌日、父が港に着いてみると船は債権者に押収されており、雷鳴轟く夜、やむなく夜の森の中を馬に乗って帰って来る途中、何時の間にか道を踏み迷い、これまで見たことも聞いたこともない荒れ果てた古城に行き当った。人影もなく静まり返った場内の異様な恐しさは類を見ない。屋敷に迷い込んだ父は翌朝、ベルを思いながらうっかり目の前に咲いた見事なバラを一輪摘んでしまうのだが、そこには恐ろしい野獣が待ち構えている。

 父親以外、まともな人間の出て来ない血縁描写に加え、まさにシュールレアリズムを地で行くような野獣の屋敷の造形が素晴らしい。まるで自動ドアのような木々、風に揺れるレースのカーテン、壁から伸びた人の手による蝋燭台、テーブルの下からゆっくりと姿を現した手、鏡に映る自分の姿を眺めたベルは、やがて登場した化け物のような野獣の姿に卒倒する。悲哀に満ちた野獣の造形は指先から煙を吐き出しながら、ベルの面影をひたすら辿って行く。毎晩必ず19時にやって来て、求婚する男の悲哀は、ベルに恋敵となる美青年がいることで悶え苦しむ。例え外見がどんなに醜くても、野獣の心は清らかで、徐々にベルのハートを溶かして行くのだが、1週間の猶予を与えてしまったことで、野獣の運命は覆される。美女と野獣の心の通い合わせの描写としては幾分不明瞭ながら、ディアナの館、黄金のカギ、マンフィックという名の神々しい白馬など、幾つものシュールレアリズム的な道具立てが、こちらの世界とあちらの世界とのレイヤーとを怪しく結びながら、欲望に塗れた人々は悲劇的な運命に惑う。クライマックスの筆舌に尽くし難い美しさは、今作をまさに映画にしか出来ない表現で映画たらしめている。フランスの詩人であり、小説家だったジャン・コクトーの表現は、御伽噺を軽やかに歌い上げながら、映画にしか成し得ない映像表現でクライマックスへと導く。ラストの魂の交換には疑問も拭えないが、現実と夢の妥協案ではなく、御伽噺の中でヒロインの夢はこうして実現されるのである。

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