【第810回】『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ/1990)


 アメリカ・ヴァージニア州クアンティコにあるFBIアカデミー、早朝からアスレチック・コースを走るクラリス・K・スターリング(ジョディ・フォスター)の姿。首にタオルを巻き、グレーのTシャツは肩部分にじっとりと汗が沁みている。彼女の背中に突如、クロフォード(スコット・グレン)が君をお呼びだと声が掛かる。アカデミー内で心理学を専攻する実習生ながら優秀な成績を収める彼女に対し、行動科学課 (BSU)のクロフォード主任捜査官は手詰まりな捜査に新風を吹かすべく、若きクラリスに白羽の矢を立てる。上昇志向の強い彼女は、クロフォードの要請に満更でもない様子を浮かべながら、手柄を立てるべく、自信満々な表情で犯人のプロファイリングに臨む。何とも不気味な精神病院の薄暗い地下室、かつては天才の名を欲しいままにした精神科医は犯罪心理学の権威でありながら9人の人間を殺害し、その肉を食したことでボルチモアにある刑務所に収監された連続殺人鬼ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンズ)に他ならない。薄暗い地下牢獄内のファースト・コンタクト、クラリスはレクターの姿に怯えながらも平静を装うが、レクターは彼女にFBIの手帳をもっと近くで見せるよう要求する。レクターは通気口の4つの微細な穴からクラリスの匂いを嗅ぎ、彼女の日頃付けている香水の名前を言い当てる。

 敬愛するクロフォード主任捜査官の「非常に危険な男」というハンニバル・レクターの見立ては正しい。透明なガラス窓、鉄格子で仕切られた空間ではクラレスの安全は確保されているように見えるが、狂人としてのハンニバル・レクターの雰囲気に打ち震える。一切の瞬きをしない目、口元だけを動かしながら静かに話す表情、互いのクローズ・アップをリバースで据えた日系二世の名カメラマンであるタク・フジモトの構図は、クラリスよりも明らかにレクターに吸い寄せられるかのようににじり寄る。そうかと思えば次にクラリスが接見する時、壁際に座る彼の表情はまったく見えない。この明と暗の演出のシンプルながら力強い対比は、牢獄に閉じ込められたレクターの駆け引きの上手さを体現する。成績優秀で聡明なクラリスは、その圧倒的な美貌を持ち、田舎町で育った幼少期から一貫して男たちの好奇の目に晒されているし、彼女自身も男たちの欲望の目を自覚しているのだが、レクターは最初から彼女の心の欠けた部分(トラウマ)を見つけ、自らの土俵に引きずり込もうとする。クラリスは自身のトラウマにレクターが土足で踏み込んだ時、警戒心以上に自身のトラウマが過剰に作動してしまう。男勝りな男性社会に生きるクラリスは幼い頃に父親を亡くし、一貫してファザー・コンプレックスに囚われていた。彼女にとってクロフォード主任捜査官は、亡き父親の面影を残すプロフェッショナルに他ならない。

 トマス・ハリスの小説「ハンニバル・レクター」シリーズの三部作の真ん中に位置する物語は、もう1人の連続殺人鬼の凶行を炙り出しながら来たるべきクライマックスへとゆっくりと向かって行く。真犯人とクラリスの両方の精神状態を逆プロファイリングしたレクターは、2人の妄執の親和性に最初から気付いている。一貫して父性の喪失を追い求めるクラリスの病理は、母親への異常な執着から連続殺人に手を染めてしまった男の悲哀とをトラウマで強引に結びつける。クラリスに静かに語りかけたレクターの態度が豹変する後半部分のホラー描写は何度観ても素晴らしい。ヒッチコック・マナーでサミュエル・フラーの『裸のキス』をも想起させるハンニバル・レクターの奇人じみた一瞬の凶行の怖さ、そしてフランシス・ベーコンの絵のような天井高く吊り下げられた遺体の倒錯的な美しさ、あっと驚くようなどんでん返しの妙。スズメガの繭が孵化する薄気味悪さなど、全ての描写からジョナサン・デミの才気が滲む。今作が生まれていなければ、『ドント・ブリーズ』のようなフォロワーは生まれていないだろうし、その後数多くの有象無象を産み落とした空前の猟奇映画ブームは無かっただろう。黒沢清は『地獄の警備員』の撮影の佳境の際に今作をスクリーンで観て、散々打ちひしがれたという面白い逸話もある(その後彼は出世作である『CURE』を生み出す)。ジョナサン・デミは今作で見事にアカデミー賞を勝ち得るが、真犯人の描写にLGBT団体から抗議が殺到する。その苦々しきトラウマが『フィラデルフィア』や『レイチェルの結婚』における徹底的な弱者への目線に繋がったのは間違いない。良くも悪くも今作の記録的ヒットがデミのフィモルモグラフィを変貌させてしまう。あらためてジョナサン・デミ監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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