【第815回】『ミッドナイト・イン・パリ』(ウディ・アレン/2011)


 遠くに見えるエッフェル塔、シャンゼリゼ通りの賑やかな佇まい、ルーヴル美辞術館のナポレオン広場内にあるピラミッド。世界中の観光客に愛されるパリの美しい風景たちのモンタージュ。脚本家で、小説処女作に苦戦するギル・ペンダー (オーウェン・ウィルソン)は、フィアンセのイネス (レイチェル・マクアダムス) とその裕福な両親のおかげで、婚前旅行にパリへ訪れる。400ページを越えてもまだ未完の小説に、イネスの父親ジョン(カート・フラー)は不安そうな表情を浮かべる。フランスの会社との合併は上手く行ったものの、生粋のアメリカ人であるジョンはフランスの風土を毛嫌いしている。親子4人のレストランのテーブルの席、偶然現れたポール・ベイツ(マイケル・シーン)とその妻キャロル(ニーナ・アリアンダ)がイネスに話しかける。ソルボンヌ大学さえまともに発音出来ない「エセ教養人」の夫婦にギルは嫌悪感を示すも、イネスは翌日の再会を勝手に約束してしまう。心底面白くない偽インテリの知ったかトークに辟易とし、ギルはイネスたちと離れ、1人で歩きたいんだと言って、タクシーを拾わずにレストランからホテルへの道をとぼとぼと歩き出す。案の定、夜の石畳の上で迷子になった男は、石段の上に座りながら途方に暮れる。午前0時を過ぎる頃、静寂の中で鐘が鳴ると、黒のプジョー・クラシックが石畳の上をやって来る。到着早々、シャンパンを呑まされたギルはまるでシンデレラのガラスの靴のように1920年代のパリへタイム・スリップする。

 映画はウディ・アレンの1920年代のフランスへの憧憬に満ちている。時代錯誤な黄金時代に迷い込むのはウディ・アレンの分身となるオーウェン・ウィルソンである。『華麗なるギャツビー』で知られる失われた20年代の作家であるF・スコット・フィッツジェラルド(トム・ヒドルストン)を筆頭に、妻のゼルダ(アリソン・ピル)、ジョゼフィーヌ・バケル(ソニア・ロラン)、アーネスト・ヘミングウェイ(コリー・ストール)、ガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)、パブロ・ピカソ(マルシャル・ディ・フォンソ・ボー)、シュールレアリズムの作家マン・レイ(トム・コルディエ)や若き日の『アンダルシアの犬』前夜のルイス・ブニュエル(アドリアン・ドゥ・ヴァン)、アンリ・マティス(イヴ=アントワーヌ・スポト)、そしてオーウェン・ウィルソンにとって『ダージリン急行』以来の共演となるサルバドール・ダリ(エイドリアン・ブロディ)である。中盤、『皆殺しの天使』の着想をブニュエルに語るギルの描写が何とも痛快で笑える。ロバート・ゼメキスの『バック・トゥ・ザ・フーチャー』シリーズのように、確定した未来から黄金時代にやって来た主人公は、巨人たちの日常に触れることで、スランプに陥っていた処女長編を書き上げる。

 1935年生まれのウディ・アレンにとって1920年代とは全ての芸術家がリンクする様を羨望の眼差しで見つめた幻の時代であり、体感し得なかった時代の丁寧な再現が泣かせる。美術館の案内人を務めたカルラ・ブルーニ(サルコジ大統領夫人)の出演も笑えるが、デヴィッド・ドブキンの『ウエディング・クラッシャーズ 結婚式でハメハメ』(しかし酷い邦題だ 笑)以来のレイチェル・マクアダムスとオーウェン・ウィルソンの再共演が何とも微笑ましい。ギルは口達者で裕福な富豪の娘であるイネスと結婚前にも関わらず、尻に敷かれている。ロマンチックな恋愛期間はとうに消え去り、男にとっては残酷な結婚の儀式が待ち構えている。要は結婚という厳しい現実を前に、厨二病的なギルが自らの愚かさを克服出来るか否かに物語の肝はあるのだが、あろうことかギルは並行世界の住人であるアドリアナ(マリオン・コティヤール)に恋してしまうのである。今や世界のトップ女優へと登り詰めたマリオン・コティヤールとレア・セドゥを同時に起用した世界一の女優の目利きであるウディ・アレンの眼力には改めて驚嘆せざるを得ない。プジョーから貴族用の馬車に乗り換えた2人は、ベル・エポックの時代の登場に驚きを隠さない。「最近の若者は・・・」や「昔の映画は今の映画の何倍も素晴らしかった」という心底凡庸な言説のように、幻の時代に想いを馳せる20世紀人と21世紀人とでは決定的な差異がある。それを踏まえてのクライマックスの高揚感が何度観ても素晴らしい。イギリス、スペイン、イタリアというEU連合の重要都市を行き来しながら、遂にパリの街並みへ着手した物語は、老いてなお、リチャード・リンクレイターの『ビフォア』シリーズやヌーヴェルヴァーグの偉人たちに挑むような野心的で若さに満ちた力作に仕上がっている。

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