【第825回】『パーソナル・ショッパー』(オリヴィエ・アサイヤス/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

 森の中に固定されたカメラの元へ、ゆっくりと奥から1台の車がやって来る。誰にも掃除されることなく、落ち葉が溜まった庭、助手席から先に降りたララ(シグリッド・ブアジズ)は、由緒正しき洋館を眺めながら、徐々に暗い表情に変わって行く。「本当に手放してしまうの?」と聞くのは、義理の妹であるモウリーン(クリステン・スチュワート)だが、「思い出があり過ぎて辛い」と義姉は呟く。数ヶ月前に急逝した双子の兄の持ち物である洋館を、ララは売りに出そうとしているのだが、買い手は幽霊が出たらと慎重になっている。モウリーンの本職はセレブの買い物を代行するフリーの「パーソナル・ショッパー」だが、双子の兄妹はそれぞれ霊媒師としての能力を持っていた。ララから鍵を預かり、その日の晩1人で泊まったモウリーンは夜中に二階で大きな呻き声を聞く。「ルイスなの?」と双子の兄の名前を何度も連呼するモウリーンの姿。翌日ララがやって来ると、モウリーンは疲れた様子で椅子に腰掛け熟睡していた。

 今作の主演であるクリステン・スチュワートは、前作『アクトレス~女たちの舞台~』(しかし心底美しいフィルムに対し、何度呼んでも酷い邦題だ)の大女優のマネージャー同様に、シャネルのモデルを務めるスーパー・セレブのキーラ(ノラ・フォン・ヴァルトシュテッテン)の日陰の人物としてセレブを下支えする。ノラ・フォン・ヴァルトシュテッテンはかつてアサイヤスの『カルロス』でも主人公と行動を共にする女スパイを演じたが、アサイヤスの好みの女性は一貫して無表情であり、簡単に笑みなど見せない無機質で冷たい女なのだが、今作の女性たちも例外ではなかろう。ララもキーラもヒロインであるモーリーンも最初からほとんど笑顔など見せない。他界した夫の屋敷を売りに出すララも、ジャングルで種の保存の危機に瀕していることを動物園側からSkype(これも明らかに異常な描写!!)で説得されるキーラも今作ではほとんど笑顔を見せない。さながらブレッソンかロメールのような官能的な脚に履かれたブーツを脱ぐあまりにもクラシックなクリステン・スチュワートのポスター像だけで今作をイメージすると、ほとんど裏切られると思っていい。  
 
 ロンドン行き特急ユールスター内での目に見えない男とのLINEでのやり取りは、前作『アクトレス~女たちの舞台~』でのスイス・シルスマリアへの道程でのマネージャーと先方との会話の不毛さをより強調する。生身の人間とのダイレクトなやり取りを介さず、ひたすらバーチャルな営みであるSNSやGoogle画像検索にヒロインは没入する(おまけにクライアントのhotmailをも盗み見る)。よくよく考えれば、今作のヒロインであるモウリーンはパーソナル・ショッパーとしての仕事以外にほとんど男性と出会うことはない。ヴァーチャルとリアルとの境界に異様な執着を見せるアサイヤスの演出は、特急ユーロスター内での行き帰りの描写をほとんどLINEのやりとりの大写しの凡庸な描写のみで塗り固める。長年、天才と言われる撮影監督ヨリック・ル・ソーとコンビを組むアサイヤスが、これらの軽薄な場面を無意識で入れているとはとても思いない。『デーモン・ラヴァー』や『レディ・アサシン』の中で、インターネットの暗部(最下層ではなくまさに暗部!!)を覗いたアサイヤスはセレブのパーソナル・ショッパーと最愛の兄を失った霊媒師とを等価に結ぶ。目に見えるものと目には見えないもの、即物的なものと霊的でスピリチュアルな直感、過去と現在、ヴァーチャルとリアリティとがヒロインをうっとりするような微睡みの中に倒錯させ、全ての価値判断は微妙に狂いが生じる。極めて難解な映画だが、管理人は透明な物質がクラウンプラザ・ホテルのエレベーターを抜け、入り口を出た時こそがヒロインの消滅だと据えた。現代社会の物質主義を葬り去っても、魂だけは永遠に生き永らえる。その浮き足立つメタファーを演じるクリステン・スチュワートの生身の描写に心底震える。
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