【第830回】『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

 湖畔の家の屋根部分を捉えたテクスチャー、独身の言語学者が単身で住む家。ルイーズ・バンクスは一人称で「あなた」へ話しかける。ドゥニ・ヴィルヌーヴの過去作『複製された男』にそっくりな大学の受講室の場面の構図にも驚かされるが次の瞬間、僅かに集まった生徒たちのスマフォが鳴る。TVを見せて下さい。そう言われたルイーズは黒板を開け、50インチほどのTVの電源を入れると、そこに飛び込んで来たのは「世界の終わり」のような光景だった。大学の構内から続々と家に帰る学生たちの群れ、ルイーズは愛車のエンジンをかけたところでゆっくりと息を吐く。TVニュースからは突如、地上に降り立った宇宙船の続報が延々と流れている。翌日、緊急事態で流れた自身の授業のために大学へ出かけたルイーズは、ウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)の訪問を受ける。君はかつて、圧倒的な言語力で我々に貢献した。政府が君の力を必要としているというウェバー大佐の問いに対し、ルイーズは「対面しないと意味がない」と応える。今作のヒロインであるルイーズ・バンクスは、『複製された男』のアダム・ベル(ジェイク・ギレンホール)のように都市に住む住民特有の不眠症のような症状を抱えている。ベッドの上、微睡みの中のルイーズをヘリコプターの轟音が目覚めさせる。ヒロインは突如、「世界の終わり」のような国家の危機を脱するべく、奇妙な物体の調査に乗り出す。

 テッド・チャンの傑作SF短編『あなたの人生の物語』を基にした物語は、明らかに20~30分の尺に相応しい物語だが、作家性の強いドゥニ・ヴィルヌーヴはまたしても2時間弱に引き延ばす。我が国では「ばかうけ」そっくりだと茶化されたが、小石のような卵型をした物体が、重力をもろともせずに空中に浮遊する様の目を疑うような美しさはSF映画の歴史を見ても前例がない。遠くに山々を臨む緑色の牧草地、接地面に薄い霞のかかる大きな宇宙船のような巨大な物体に侵入したところで、ルイーズ・バンクスとイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)は異星人の崇高な「何か」に触れる。その言語解読すら困難な地球人と異星人との難儀なやり取りや言語コミュニケーションは、手触りとしてはスティーヴン・スピルバーグの1977年作『未知との遭遇』に近いが、今作が実際に参考にしたのはロバート・ゼメキスの早過ぎたSF傑作である1997年の『コンタクト』だろう。亡き父テッド・アロウェイ(デヴィッド・モース)に思いを馳せながら、遠く離れた宇宙とのコンタクトを試みるヒロインであるエリナー"エリー"・アロウェイ(ジョディ・フォスター)は両親の喪失という深いトラウマを抱えている。今作でもルイーズ・バンクスは回想シーンにおいて、深い病巣を抱えていることが明示されるのだが、真に驚愕のクライマックスは大袈裟ではなく、映画史における回想シーンの意味さえも変貌させる。物語を観ていて私がようやく気付いたのは、今作は理系のための理系によるゴリゴリの理系由来の映画だということである。

 不気味な物体に近付く際の不協和音、無人のロング・ショットのえも言われぬような魅力など、スティーヴン・スピルバーグやクリント・イーストウッド、ロバート・ゼメキスのようないわゆるハリウッドの巨人たちによる理詰めのハリウッドの文系の流儀ではなく、どんなに物語に欠陥があろうが、推進力でそれらをなぎ倒す力がドゥニ・ヴィルヌーヴの圧倒的な画力にはある。「HANNAH」という文字列に隠された回文のような閃き、回想の概念をも変えてしまうような時系列の操作、空中に書道のように書かれた筒状の文字は、異星人たちが過去・現在・未来ではなく、円環状に生きていることの例証となる。我々が生きている次元とは別の次元を異星人は受容しており、ヒロインはその深淵に思いがけず触れてしまう。問題は原作となった傑作SF短編『あなたの人生の物語』にはない加筆された後半部分の描写に尽きる。宇宙から異星人が攻めて来た時が、世界国家の台頭になるというリベラリズムの淡い期待は見事に打ち砕かれる。アメリカ合衆国モンタナに現れた聖母のようなヒロインの描写に対し、核攻撃を実行せんとするかの国の描写は明らかに異常でロジックが破綻し、勧善懲悪的で凡庸の域を出ない。物語的な破綻も問題だが、真の問題は圧倒的なオリジナリティを内外に提示して来た映像派ドゥニ・ヴィルヌーヴのクライマックス描写に尽きる。ステディカムでの接写を観て、私は真っ先にテレンス・マリック×エマニュエル・ルベツキ・コンビの2000年代以降の実験的な作品群を思い出す。大団円となるはずの物語はテレンス・マリックのような極端な超自然主義に傾倒し、理系由来のSF的世界観は超自然的な話法に引っ張られ、中途半端な結末へと至る。ロジャー・ディーキンスの不在が何とも残念でならない未消化な作品である。
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