【第831回】『ガール・オン・ザ・トレイン』(テイト・テイラー/2016)


 女はNYマンハッタン行きの列車に乗りながら、窓の外の風景をじっと見つめている。曇りガラスに指で書かれた×印、そこから見える線路沿いの人々の生活を想像することだけがレイチェル・ワトソン(エミリー・ブラント)の細やかな生き甲斐だった。広告代理店を解雇された後も、女はただ当て所なく列車に吸い込まれるように乗ってしまう。ベケット通り15番地、そこにかつての自分自身の蜜月時代を想起させるような理想のカップルの姿があった。妻メガン・ヒプウェル(ヘイリー・ベネット)に寄り添うスコット・ヒプウェル(ルーク・エヴァンス)の姿にレイチェルは、かつての夫トム・ワトソン(ジャスティン・セロー)の姿を重ね合わせていた。数年前、レイチェルとトムの新婚生活は上手くいっているように見えたが、ただ一つ、夫婦に子供が出来ないことだけが最大の悩みだった。高額な不妊治療、確率的に決して高くない妊娠の兆候、レイチェルは夫トムとの夫婦生活を鑑みて、女としての喜びを諦めてしまう。その頃から夫婦の歯車は徐々に狂い始める。夫とセックスレスになった頃から、徐々に酒が手放せなくなったレイチェルは夫の取引先の上司との懇談会の席で酒に酔った挙句、夫に恥をかかせるような行動をしてしまう。メンヘラ気味の妻の姿が重く感じたのか、夫トムは新しい妻アナ・ワトソン(レベッカ・ファーガソン)と出会い、あっさりとレイチェルの元を去る。離婚のショックからアルコール依存症になったレイチェルは昼間っから酒を呑み、列車の中から幸せだったかつての新居を眺め、過去を懐かしむ女は、ベケット通り15番地の2つ隣に住んでいた。

 英国の女流ミステリー作家ポーラ・ホーキンズの原作を映画化した物語は、トラウマを抱える3人の女たちをドラマチックに結び付ける。好奇心で覗き込んだ車窓からの風景が、やがて決定的なサスペンスをヒロインに誘い込む展開はアルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』的だが、ヒロインのレイチェル・ワトソンの酩酊状態がサスペンスの肝になる。薄幸の妻レイチェルからトムを奪った新妻であるレベッカ・ファーガソンの小悪魔的な魅力、そして裏ではとんでもない心的トラウマを抱えながら、アナ・ワトソンとトムの一人娘であるイーヴィーを見守るベビー・シッターとなるメガン・ヒプウェル(ヘイリー・ベネット)とがやがて一つの真実により運命的な出会いを果たす。子供が出来ない女と、再婚してすぐ子供を宿した女とは決定的な女としての差異を孕んでいるものの、その間に悲運を背負ったメガンを挟むことで、物語はより重層的な性質を帯びる。苦悩を抱えたエミリー・ブラントと人生バラ色なレベッカ・ファーガソンの対比も素晴らしいが、ポスト・ジェニファー・ローレンスの筆頭格であろうヘイリー・ベネットの怠惰で官能的なウェルメイドな演技がこの手のサスペンスとしては異彩を放つ。『ワイルド・スピード』シリーズでテロリストであるオーウェン・ショウを演じたルーク・エヴァンズやオリヴィエ・アサイヤスの『カルロス』で革命家の主人公を演じたエドガー・ラミレスなど個性的な脇役も出てくるが、物語の本筋はあくまで3人の女性たちのトラウマとやがて表出する因果とをくっきりと見せつける。日本で言えば湊かなえ原作のような心底厭な雰囲気に包まれる物語は、女性筆者ならではのシニカルなリアリズムに溢れる。シャルロッテ・ブルース・クリステンセンによるミディアム~クローズ・アップ中心のTVドラマ的な構図は多少気になるものの、ラスト10分間の心底陰惨な結末はウェルメイドなサスペンスとしてはなかなかの佳作に仕上がっている。

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