【第856回】『幸福(しあわせ)』(アニエス・ヴァルダ/1964)


 草原に咲いた向日葵のクローズ・アップ、その奥から子供たちの手を引いた1組の夫婦がやって来る。フランス・パリの13区クレムラン、6月の第三日曜日の父の日の午後、愛に満ちた家族4人は娘ジズーと息子ピエロの手を引きながら、自然豊かな草原でピクニックを楽しんでいる。一姫二太郎に囲まれた暮らしぶり、紳士的な旦那を頼りにする妻テレーズ(クレール・ドルオー)は少女のような振る舞いで旦那の背中を追う。姑のいない4人暮らし、夫フランソワ(ジャンクロード・ドルオー)は家族ぐるみの付き合いを続ける木工職人として元気に働き、妻は裁縫や洋服の仕立てをして生計の足しにする。戦後フランスの絵に描いたような中流家庭の「幸福」な暮らしぶり。決して大きな屋敷に住めるようなお金はないけれど、アパルトマンの部屋は4人で住むには十分に快適で、子供たちもすくすくと育っている。妻は夫にあまり不満はなく、子供たちを寝かしつけた後、結婚前のように2人仲良くベッドに入る。妻としての「幸福」と女としての「幸福」、細やかな幸せを独占しているかに見えたテレーズの姿はメロドラマの主人公のように淡く輝く。

 自伝的ドキュメンタリー『アニエスの浜辺』にもあったように、ヌーヴェルヴァーグの紅一点アニエス・ヴァルダは傑作『5時から7時までのクレオ』を撮った後、婚約中だった『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』のジャック・ドゥミと結婚し、幸せな新婚生活に入る。その間も夫のドゥミは念願だった『シェルブールの雨傘』の撮影に漕ぎ着けるために『天使の入江』を撮るが、アニエス・ヴァルダは映画作家としての自我を捨て、妻に専念した。そんな彼女の3年ぶりの長編が今作である。映画はTV俳優ジャンクロード・ドルオーとその家族で、完全な素人であった妻、女の子、男の子を実際の家族に見立てて撮影された。実の家族にしか演じられない幸福な雰囲気。映画は途中までいかにも平凡な幸せを謳歌する「幸福」な家庭像を描いた後、徐々に陰惨な方向に舵を切る。平和な家庭を築いた一家に訪れる運命の女エミリー(マリー=フランス・ボワイエ)と夫との出会いの描写をウブなロマンスのように紡いだアニエス・ヴァルダの女としての底知れぬ怖さ、特にP.T.T.の頭文字で言葉を紡ぐやりとりの実際に経験があるかのような切なさに思わず絶句する。

 冒頭の平和だったピクニックとクライマックスのピクニックの対比はヌーヴェルヴァーグ=おしゃれな映画という大衆のパプリック・イメージを木っ端微塵に打ち砕く。ウーマン・リヴでフェミニストの急先鋒だったヴァルダの20世紀的な感性は1964年当時よりも、50数年経った現代の方が遥かに胸に響く。ファッショナブルな父親の道程を散々揶揄した後、夫=父親の意義を問う様子は明らかに凡庸なメロドラマの域を超えたフェミニストの痛烈なアンチテーゼにも思える。女性上位時代になる前のフランスでは陰惨なクライマックス・シーンは非難の対象だったが、21世紀の目線で見ればまったく違和感がない。

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