【第864回】『パッション』(メル・ギブソン/2004)


 紀元1世紀のエルサレム、青々とした月の下で男は1人祈る。1時間の見張り中にも関わらず、仮眠を取っているペトロ(フランチェスコ・デ・ヴィート)とヨハネ(フリスト・ジフコフ)に師であるナザレのイエス・キリスト(ジム・カヴィーゼル)は静かに語りかける。「誰かが私を裏切ろうとしている」、大司祭カイアファ(マッティア・スブラージア)に銀貨30枚でキリストの居所をリークする十二使徒の一人であるユダ(ルカ・リオネッロ)の裏切り。空中を浮かぶ銀貨は床に叩きつけられ、バラバラに崩れ落ちる。松明を持って林の中に現れたカイアファの軍勢、やがて捕えられたペトロとヨハネは私がキリストであると嘘をつき、イエス・キリストを逃がそうとするが、弟子たちの苦しみに耐え切れずに捕えられ、市の城壁の内に連行される。夜の裁判でカイアファはイエスに救世主なのかと問い肯定したイエスに対し、冒涜者だと宣告する。神を冒涜し、ユダヤ教体制を批判した罪により、ローマ帝国へ反逆者として移送されたキリストの扱いに総督ピラト(フリスト・ショポフ)は苦悩していた。

 イエス・キリストの受難を描いた映画には、27年のセシル・B・デミルの『キング・オブ・キングス』やニコラス・レイによる61年のリメイク作、ヘンリー・コスターの53年作の『聖衣』やウィリアム・ワイラーの59年作『ベン・ハー』などがあるが、今作の肌触りが最も近いのはマーティン・スコシージの88年作『最後の誘惑』だろう。イエス・キリスト(ウィレム・デフォー)とユダ(ハーヴェイ・カイテル)の危うい関係性から磔にされるまでのキリストの姿を描いた『最後の誘惑』でスコシージはキリスト教徒の批判に耐えてまでも自分の撮りたかったキリスト像を具現化した。メル・ギブソンもスコシージ同様に熱心なカトリック教徒として知られており、構想から12年もの歳月を費やし今作を映画化する。今作を最も印象づけるのは、キリストの生い立ち部分や奇跡の描写を排し、キリストが磔刑になるまでの12時間に焦点を当てていることにある。同時期に死刑を宣告されたバラバとの二者択一、デュスマス(セルジオ・ルビーニ)とゲスタスの心底陰惨な暴力はスクリーンを直視するのが憚られるほどで、拷問に次ぐ拷問は流れ出る血液の描写以上に、骨を断つような痛みに満ちる。実際に今作を観た観客がショック死した例もあるように、イエス・キリストの拷問・暴行シーンには賛否両論溢れた問題作でもある。

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