【第868回】『殺人の追憶』(ポン・ジュノ/2003)


 1986年12月、ソウルから南へ50kmの場所にある華城市内。少年は稲穂にとまるバッタを小さな手のひらでキャッチする。のどかな農村地帯に広がる牧歌的な風景、トラクターは舗装されていないあぜ道を揺れながらゆっくりと向かって来る。パク・トゥマン刑事(ソン・ガンホ)は田んぼの脇にある側溝の中で、23歳の女の死体を発見する。死後まもなく見つかった女の身体は既に腐乱しており、むき出しの皮膚にはぼうふらが群がる。女の口には声を出せないように布が詰めてあり、後ろ手で縛られ、丸まった形で発見された。最初の事件は同じ年の9月に起きた。71歳の老婆が首を絞められて殺され、下半身は裸の状態で発見される。それからほどなくして3人の若い女性が次々に強姦され殺される。犯罪の少ないのどかな農村地帯の刑事であるパクは当初、被害者の交友関係を中心に容疑者たちを尋問する。時にその尋問は荒っぽくなり、短気な相棒のチョ・ヨング(キム・レハ)と繰り広げられる暴力的な尋問は前時代的な警察の手法で次第にエスカレートして行く。十数人の容疑者を挙げるも一向に殺人は止まず、ついにソウルから優秀な刑事ソ・テユン(キム・サンギョン)が派遣される。いかにも封建的な田舎的でしか許されない少々手荒な捜査と、ソ・テユンのデータを使いながら少しずつ真実に迫る現代的な捜査法とを対照的に描きながら、一向にモヤの晴れない事件を追う2人の男の焦燥感を丁寧に紡いで行く。

 今作は1986年から1991年にかけて、大韓民国の京畿道華城郡(ファソン)(現在の華城市)周辺で10名の女性が殺害された韓国史上最大の猟奇殺人である「華城連続殺人事件」を題材にしている。のどかな田舎町の農村風景に突如顔を出すセメント工場、働く出稼ぎ労働者たちの作業風景は韓国の民主化運動が急速に激化した80年代を映すメタファーたり得る。大雨の日、湿気に濡れた草むらの匂い、ラジオ番組『夕方の歌謡曲』に何度もリクエストされる「憂鬱な手紙」という歌、大雨の日に歩く女の赤い服。物証たり得ない幾つもの連鎖的なイメージの羅列は、確かに2人の刑事を事件の暗部に誘い込むように見えるが、真相に近づけば近づくほどに藪の中にいるような錯覚に陥り、2人の刑事は徐々に正気を失くしていく。中盤以降、徐々に理性の箍が外れてゆくソ・テユンと、人権を無視して相手をねじ伏せてきたパク・トゥマンの焦燥感と限界とが入れ子構造に混じり、抑えていた人間の醜い本性が露わになる後半部分の展開はラジカルな辛辣さで、真実を綴った物語は時に語気を強める。9人目の犠牲者となった少女の腰にソ・テユンが貼った絆創膏のイメージ、彼女と入れ違いのように現場を去った女性警官ギオク(コ・ソヒ)とは皮肉にも残酷な運命の上を交差する。10人もの女性たちが次々に殺害された韓国史上最大の残忍な事件は結局、警察・機動隊合わせて167万名もの人員を動員し、捜査線上には2万人もの被疑者が浮かび上がり、そのうち570名もの被疑者がDNA鑑定に回ったものの、2006年4月、事件は明確な確証を得られないまま無念にも時効を迎えた。今もなお犯人は何食わぬ顔をして、我々と同じように飯を食い、息をしているかもしれない。

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