【第869回】『グエムル-漢江の怪物-』(ポン・ジュノ/2006)


 2006年夏のある日、パク・カンドゥ(ソン・ガンホ)と祖父のヒボン(ピョン・ヒボン)は、漢江の河川敷で行楽客相手の売店を営んでいた。だが店番のはずのカンドゥは店先で居眠りしている。その姿を見ながら、軒先で盗みを働こうとする男の子の姿。カンドゥは店そっちのけで、幼い娘ヒョンソ(コ・アソン)と、妹ナムジュ(ペ・ドゥナ)がエントリーするアーチェリーの全国大会をTV観戦しようとしていた。押し入れに隠したラーメンのカップの小銭貯金、中学生の娘にHiteビールを呑ませようとするダメな父親の姿。愛し合って結婚したはずの妻は13年前、心底ダメなカンドゥとまだ幼い娘ヒョンソを残して家を出た。学歴もなく貧しい長男のカンドゥとは対照的に、自身もシングル・ファザーだったヒボンはナミル(パク・ヘイル)を大学にやり、ナムジュをアーチェリーの銅メダリストにまで育て上げたが、コネが無ければ就職出来ない韓国社会のぶ厚い壁に阻まれ、2人とも勝手気ままなフリーター生活を送っていた。ある日、イカの足が9本しかなかったとクレームをつけられたカンドゥは釣りやBBQにいそしむ若者たちの集団にお詫びのイカを持って来るが、目の前の漢江大橋付近で怪しい物体を目撃する。その身体はエイリアンやダイナソーのように大きく、水陸両用の万能な身体を持ち、意外なまでの俊敏さを持ちながら次々に人々を食べて行く。カンドゥはドナルド下士官と協力して怪物を退治しようとするが、怪物の反撃に遭い、娘ヒョンソを攫われてしまう。

 グエムルと呼ばれる怪物の正体は一体何なのか?導入部分で僅かに2000年に在韓米軍が大量のホルムアルデヒドを漢江に流出させた事件を伝えるものの、怪物の核心は明らかにされない。スティーブン・スピルバーグの映画のように、子供じみた大人と大人びた子供の対比は今作のカンドゥとヒョンソン父娘にもトレース出来る。カネもコネも学歴もなく、昼間っからビールを呑むことしか出来ないダメダメな父親をヒョンソンはそれでも愛しているが、父親が力強く握ったその手は無情にも娘の手を滑り落ち、父娘には最悪の別れが待ち構える。だがヒョンソンの失踪がパク一家の団結をかえって高める。一度は死んだと絶望した娘が生きていることを知り、パク一家は各人がそれぞれにヒョンソ奪還作戦に向かうのだ。前作『殺人の追憶』の重厚な猟奇ミステリーから一転し、堂々エンタメ路線に舵を切った今作は、心底ダメな家族が巨大な怪物に立ち向かう次の一手がまったく読めない斬新な物語構造が素晴らしい。冴えない父親が本当の父親になるまでの成長譚というテーマは真っ先にスティーブン・スピルバーグとも呼応するが、ポン・ジュノはそこに韓国社会特有のじっとりとした湿り気を織りまぜる。コネが無ければ就職すらままならない社会構造、重大な事故が起きても一向に収束出来ない政府の怠慢、若者のデモを力でねじ伏せようとする韓国社会の闇を浮き彫りにしながらも、怪物の誕生の要因となる博士の失言には在韓米軍の撤退への痛烈なメタファーが含まれることは明らかだろう。老斤里事件や議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件などで、当時の世論が米軍撤退のムードに溢れた韓国民衆の鬱屈とした感情を代弁した今作は、手の施しようのないモンスター「グエムル」を生み出し、鬼才ポン・ジュノの名前を一躍世界中に轟かせた。

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