【第870回】『シェイキング東京』(ポン・ジュノ/2008)


 東京都渋谷の住宅街、男(香川照之)は気怠そうにトイレに篭りながら、紙に手をかけるがペーパーがない。カラになったトイレット・ペーパーの筒を掌に押し付けながら、円状の跡がいつ消えるのか想いを馳せる。男は10年前から引きこもりの一人暮らしで、亡くなった父親宛に誰かから送金される怪しいお金で暮らしている。TVをまったく観ず、10年間かけて読んだ本をブラウン管テレビの回りにきっちりと積み上げる潔癖ぶり。男は整理整頓を完璧にこなし、父親の部屋には絶対に入らないと決めている。金と電話さえあればOK、光に当たるのは心底嫌だが、光の動きには敏感で、いつも決まって食事は流しの前で立って食べるのは消化に良いからである。彼の唯一の楽しみは、毎週土曜日に「PIZZA'S END」に注文する宅配ピザだが、引きこもりの男は絶対に配達人の女と目を合わそうとしない。だがある日、女が付けたガーターベルトが目に入った男は、女(蒼井優)の顔を見てしまう。時が止まったかのように見つめ合う2人だったが、その瞬間大きな地震が来て、女は玄関口に気絶して倒れる。

 レオス・カラックス、ミシェル・ゴンドリー、そしてポン・ジュノが「東京」を題材に撮り下ろした短編オムニバス。中でもレオス・カラックスが自らの分身とも呼ぶべきドゥニ・ラヴァンを「下水道の怪人」とした真ん中の『メルド』が圧倒的なクオリティながら、3本目のポン・ジュノも負けていない。働き盛りの10年間を引きこもりがちで過ごして来た主人公は、少女に恋をしたことで見える景色が変わる。男が毎週土曜日に10年間食べ続けたピザの空き箱の山、それでも気付けなかった少女の美しさに気付くきっかけがガーターベルトだというのは皮肉な話だが、恋が始まる瞬間、地軸のバランスが歪められ、天変地異が起こる。早朝に撮影された無人のスクランブル交差点、潔癖症的に整理整頓された備品の塔など幾つもの東京を切り取る断片的イメージが積み上げられ、世界は皮肉にも男が外に向かい歩き始めた瞬間に反転し、真逆の位相に転じる。「ミスター過剰演技」の香川照之と竹中直人の共演、無機質で冷めた表情をしたファム・ファタールのようなヒロイン像、ソウル在住の韓国人のポン・ジュノから見た東京のイメージはかくも孤独で、脆く儚い。

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