【第876回】『オクジャ/okja』(ポン・ジュノ/2016)

あらすじ・結末に触れていますので、これから観る方はクリックしないで下さい

 2007年ニューヨーク、ミランド社のCEOであるルーシー・ミランド(ティルダ・スウィントン)は10年かけて行う「ミランド・スーパー・ピッグ計画」を実現に移そうとしていた。その計画とは26匹のスーパー子豚を世界各国の農家に派遣し10年後、1位になった豚をニューヨークに逆輸入するという壮大な試みだった。韓国ソウルから数百km離れた山奥の村、登山しなければならないほどの険しい山間の村には幼いミジャ(アン・ソヒョン)が「okja」と呼ばれる1頭のメス豚をミランド社から預かり、大事に育てていた。彼女の育ての親はお爺さんのヒボン(ピョン・ヒボン)であり、彼女の両親は共にミジャが物心つく前に亡くなっていた。ポン・ジュノの映画ではいつだって、主人公には往々にして両親のいずれかが欠けていることが多いのだが、ミジャは残念ながら両親共にもうこの世にはいない。彼女の親代わりは両親の親である大おじいちゃんであり、愛情の不足している少女は「okja」に惜しみない愛情を注ぐことで心の平静を保っていた。10年後、すっかり大きくなった「okja」とミジャは何をするにも一心同体の仲良しだった。ある日、崖の上に栗の実を拾いに来たミジャは足を滑らせ、断崖絶壁から落ちそうになったところを「okja」に助けられる。ニューヨークからこの地にやって来たミランド社のムンド・パーク(ヨン・ジェムン)とジョニー・ウィルコックス博士(ジェイク・ギレンホール)の一行は「okja」の成長ぶりに目を細めていた。

 前半の展開は随分とまったりとしていて、アップテンポなポン・ジュノらしさがほとんど観られないのが難だが、ジェイク・ギレンホールが出て来てから劇的に空気が変わる。平和な村のミジャたちの関係性を引き裂くような突然の侵犯、そして奪われたペットを必死に奪還しようとする主人公と「okja」の関係性は、ポン・ジュノの長編処女作だった『ほえる犬は噛まない』のヒョンナム(ペ・ドゥナ)と愛犬ピンドリの関係性に呼応する。心なしか少年のような愛らしいルックスをしていたペ・ドゥナの姿が今作の主人公であるアン・ソヒョンと被るのも偶然ではあるまい。ジェイク・ギレンホールの突拍子も無い怪演に心をかき乱されるが、「アニマル・マジック」ことジョニー博士とムンド・パーク、そしてヒボンおじいちゃんの情け無さはある意味、ポン・ジュノ作品の男たちの本質であり、埒のあかないミジャは少女でありながら頼りない男たちに成り代わり、「okja」を救うために一念発起する。ドゥニ・ヴィルヌーヴの2013年作『プリズナーズ』以来の共演となったジェイク・ギレンホールとジェイ(ポール・ダノ)の姿。「okja」の耳の下に潜り込んだブラック・ボックスと遠隔操作するALF動物解放戦線の面々、ジョニー博士がおびき出したオス豚アルフォンゾとの突然の交配(尊厳を持つ人間ならば絶対に許されないレイプだ)、主人公同様に歪な家庭像に目を眩まされたルーシーの焦燥感は主人公と悪の権化とを合わせ鏡のように結ぶ。

 クライマックスでミジャが迷い込んだ食肉加工場の様子は、『グエムル-漢江の怪物-』同様に病巣国家アメリカのメタファーを浮き彫りにする。得体の知れない漢江の怪物は今作では「okja」に生まれ変わり、世界の警察たるアメリカの組織は韓国で育った得体の知れない力を必死で押さえ込もうとする。一見、質の高いエンタメ作品に仕上がっているのは間違いないのだが、ポン・ジュノは『グエムル-漢江の怪物-』同様にアメリカ社会の過激な力学を観客に提示している。
該当の記事は見つかりませんでした。