【第877回】『ユー・キャン・カウント・オン・ミー』(ケネス・ロナーガン/2000)


 アメリカ・ケンタッキー州スコッツビル、メキシコと国境を接する小さな田舎町。トム・プレスコットとレイチェル夫妻は子供たちの待つ家に帰る途中、トラクターにはねられ天国へと旅立つ。保安官はプレスコット家のドアをノックし、幼い娘を外へ呼び出し真実を告げる。十字架の掲げられた教会、幼い娘と少し年の離れた弟は両親の死を受け入れられないまま、悲嘆に暮れていた。それから十数年、サミー(ローラ・リニー)は8歳の息子ルディ(ロリー・カルキン)を女手一つで育てるシングル・マザーになっていた。地元の銀行に勤める傍ら、息子の学校の送り迎えをするサミーは仕事に子育てに忙しい日々を送っていた。ある日、新しい支店長ブライアン(マシュー・ブロデリック)が赴任してきて、サミーの送り迎えでの中途退社をやんわりと咎める。たった15分の息子の送り迎えが困難になったサミーは、アメリカ各地を転々とする弟のテリー(マーク・ラファロ)を連れ戻す。アラスカ〜フロリダ〜オーランドへの放浪生活、頼りすら寄こさない弟には姉に言えない秘密があった。姉弟水入らずの再会場面、弟の秘密の告白に姉は絶句するが息子ルディのために弟と同居することを決める。弟にとって久しぶりの実家暮らし、父のいないルディはやがてテリーと友人同士のような親しい関係を築いて行く。

 ハロルド・ライミスの99年作『アナライズ・ミー』やその続編である2002年作『アナライズ・ユー』、マーティン・スコシージの2002年作『ギャング・オブ・ニューヨーク』の脚本家として知られるケナス・ロナーガンの長編デビュー作。思春期に両親を不慮の事故で同時に亡くし、メンターを失った姉弟のその後を描く物語は、両親がかつて生活していた狭い田舎町に暮らす姉と、両親の面影を消そうと田舎町スコッツビルを抜け出した弟とを対比し描く。サミーは思春期に恋人だったルディ・コリンスキー(ジョシュ・ルーカス)とは既に離婚し、生みの親である恋人と同じ名前を息子に名付ける。大人になってから一度も一緒に暮らしたことのない姉弟は互いのライフスタイルの違いに苦しむ。敬虔なクリスチャンで、信仰を捧げることで心の平穏を得る姉と、信仰にまったく興味がない弟の対比は息子ルディの育て方でも反目し合う。あくまで息子を過保護に育てたい母親の思いは弟にはなかなか伝わらない。星を見ていたと嘘をつき出かけたビリヤード台、息子に生き方を教えるテリーの姿はルディの代父として重要な役割を担うが、姉はそんな弟を忌み嫌う。

 では姉は聖人君子なのかと言えばまったくかけ離れている。長年付き合ってきたボブ・スティーガーソン(ジョン・テニー)からの突然のプロポーズ、反目する上司ブライアンとの行きがかりの不倫、息子を常識の檻に閉じ込めながら、自身の女としての尊厳がなかなか捨てられない正直なサミーは、監督自身が自ら演じたロン神父の前でただひたすら懺悔する。女としての理想と息子の母親としてのアンヴィヴァレントな感情を抱えながら、都会に一度も出たことがないまま生涯を終えるだろうサミーのキャラクターはおそらく、クリント・イーストウッドの『マディソン郡の橋』に淡いロマンスを夢見た多くのアメリカ保守層の現実に違いない。決して不倫は賞賛されるべきではないが、不幸な生い立ちを抱えた女は、男に縋ることでしかこの街で暮らすことは出来ない。だが弟の破滅的な生き方は姉とは一線を画す。自殺未遂したシーラ(ギャビー・ホフマン)という恋人を抱えながらすぐに彼が恋人の元に戻らないのは、姉サミーと息子ルディの2人暮らしがどこか不憫に思えたからに他ならない。3人の微妙なトライアングルは、それぞれの生き方をボロボロに否定し合うことでしか前に進めない。マーティン・スコシージがエグゼクティブ・プロデューサーに名前を連ねた物語は、ある秘密を抱えた弟が姉の前に金の工面に訪れるシンプルな物語で、様々な葛藤を経て登場人物たちの姿は振り出しに戻るものの、そこには確かに登場人物1人1人の成長が刻印されている。当時ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)が絶賛したものの、日本では残念ながらDVDスルーだったケネス・ロナーガンの長編デビュー作には、16年後の『マンチェスター・バイ・ザ・シー』に至る道程が静かに息づく。

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