【第890回】『エム・バタフライ』(デヴィッド・クローネンバーグ/1993)


 1964年北京、夫婦揃ってソ連のアパートのような狭い部屋に住まわされたフランス大使館の外交官ルネ・ガリマール(ジェレミー・アイアンズ)とのその妻のジャンヌ・ガリマール(バーバラ・スコヴァ)。同僚と情報漏洩について話し合う男はやり手の外交官で、今夜のスウェーデン大使館でのパーティに出席予定である。晩の夜会、ルネは曲芸でも見せられるのかと皮肉を言うが、『蝶々夫人』の公演の舞台に立つ1人の女マドモワゼル・ソン・リン(ジョン・ローン)に目が釘付けになる。白いドレス、小さな胸、独特の高音で『蝶々夫人』を高らかに歌い上げるソン・リンの声。その瞬間、ルネにとってソン・リンは東洋の美・中国のプリマドンナとなる。楽屋に侵入し、ソン・リンに一言声をかけたいと思うルネに対し、ヒロインは思わせぶりな態度を取る。西洋に住む白人にとって、東洋の女は手に入らない幻の美女であり、ルネは夜毎にプリマドンナへの思いを強くする。かくして冒険好きな帝国主義者は教養を深めるためという大袈裟な目的のために京劇の現場に分け入る。言葉を理解しない中国人たちの貧民街、そこを分け入った場所に運命の女マドモワゼル・ソン・リンはいる。半透明カーテンの先に見えるソン・リンのシルエット、女の香りに魅せられた男は思わずヒロインに求愛するが、女は男の視線から逃げ去るようにその場を立ち去る。

 今作は中国の激動期に出会った2人の男女の悲恋の物語であり、クローネンバーグの『ヴィデオドローム』や『戦慄の絆』と同工異曲の様相を呈す。ヒロインに一目惚れした主人公の男はそれっきり仕事も手に付かなくなるほど女に骨抜きにされる。だが実はソンは京劇俳優として堕落の罪に問われ、償いとして女装をし彼に近づき、大使館の情報を内偵しているスパイだった。2000年の過去に生きる中国の病巣、左手の甲の上に乗ったトンボ、紫禁城の強固な守りのようにガードの固い女に対し、ルネは一気呵成に女心を攻める。何通もやりとりした便箋、そこに押印されたソン・リンの記号だけが微かに彼女の近況を伝える。晴れて副領事に昇進した男は糟糠の妻とあっさりと別れ、意中のヒロインとの幸せな結婚生活を夢想するが、もう恥は差し上げましたと返事をする女の態度は一向に煮え切らない。ルネとソン・リンの愛の結晶には白人の面影など微塵もなく、ただただ中国の坊やとして泣き喚く。だがロマンスに浮かれた主人公は国家間の謀略にも気付かない。愛し合った妻とも別れ、天涯孤独の身としてヤケ酒を食らうルネの背景を貫くのは、1968年の五月革命に他ならない。

 アメリカの無謀なヴェトナム戦争、毛沢東の時代、五月革命と激動の60年代末期を貫く西洋と東洋が混濁した時代と背景、『戦慄の絆』同様にジェレミー・アイアンズの打ちのめされたメンタルはソン・リンとの再会により、束の間癒されるのだが、ラスト20分間のあっと驚く衝撃の結末は何度観直しても絶句する。生きていればR・W・ファスビンダーが撮っていたであろう同性愛の描写とジョン・ローン信者を絶句させるような美しき臀部。坂本龍一の『左手の夢』とも親和性のある衝撃のラストは、『戦慄の絆』や『裸のランチ』同様に80年代の熱狂的なクローネンバーグ信者をただただ戸惑わせる内容ながら、真実の愛を貫く主人公とヒロインの悲恋は何度観ても涙腺が緩む。70年代のデビュー時から一貫して肉体の破壊に拘泥したデヴィッド・クローネンバーグのフィルモグラフィは、ここに来て明確に肉体の破壊から精神の破壊へと明確に舵を切る。『デッドゾーン』や『ザ・フライ』の大ヒットの後の物語としてはいささか地味である『戦慄の絆』や『裸のランチ』、そして『エム・バタフライ』の3作は難解な物語ながら、クローネンバーグの作家性を決定付けた。当時は熱狂的なジョン・ローン信者が怒り狂った物語ながら、今ではクローネンバーグの映画に留まらず、LGBT映画の古典として語り継がれる名作に違いない。

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