【第893回】『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(デヴィッド・クローネンバーグ/2005)


 インディアナ州のうらぶれたモーテル。早朝8時、カメラはゆっくりとパンニングし、中から白いTシャツ姿の若い男ウィリアム・“ビリー”・オーサー(グレッグ・ブリック)が現れる。その後ろからゆっくりとリーランド・ジョーンズ(スティーヴン・マクハティ)が姿を見せる。「このまま東へ行くのか?」年少の男の質問にリーランドはYesとだけ呟き、チェック・アウトに向かう。ビリーはタバコを吹かしながら、いつ終わるともない長旅にげんなりした様子を見せる。受付嬢が気に障り、殺めて来たというリーランドの言葉、冷たい水を取りに戻ったビリーは扉の向こうから、聾唖の子供がこっちを指差すのを確認し、彼女の額に 躊躇なく弾を撃ち込む。一瞬のオーバー・ラップの後、悪夢にうなされ飛び起きる少女の姿。ストール家の長女サラ(ハイディ・ヘイズ)は絶叫と共に怖い夢から目覚め、びっくりした父親のトム・ストール(ヴィゴ・モーテンセン)、兄のジャック(アシュトン・ホームズ)、最後に母親のエディ(マリア・ベロ)が駆けつける。インディアナ州の田舎町ミルブルック、この地で夫婦は息子と娘の2人兄妹をもうけ、幸せな日々を過ごしていた。妻はやり手の弁護士で、夫は「ストールズ・ダイナー」という地元で大人気のコーヒー・ショップを営んでいた。息子のジャックは野球部でボビー・シンガー(カイル・シュミット)にいじめられていた。ある日、トムの店の営業終了後にリーランドとビリーが現れる。平和な街に現れた2人のよそ者は、やがて暗い影を落とす。

 素性を隠し、平和に暮らす主人公、田舎町に突然現れた無頼漢、彼らに警告するサム・カーニー保安官(ピーター・マクニール)の3つ巴の描写は西部劇の構造を現代劇に見事に置き換える。過去を消して生きる男は、従業員の命の危機に際し、隠していたはずの粗暴さを垣間見せる。インディアナ州ではこの事件が瞬く間に有名になり、一家の大黒柱だったトム・ストールは地元の英雄として賞賛される。だが英雄礼賛は次第に逃げ切れなくなる父親の「ある嘘」を浮き彫りにする。第一波となるリーランドとビリー、第二波となるカール・フォガティ(エド・ハリス)の片目は歪に主人公を睨みつける。チア・ガールのコスプレで夫を誘惑したエディに浮かんだある疑念、夫は果たして優しく温和なトム・ストールなのか?それともジョーイ・キューザックなのか?お揃いの十字架のシルバーのネックレス、ブラウン管テレビを憔悴した表情で見つめる主人公の眼、納屋から決定的な暴力を目撃する時に辺りに飛ぶハエ、ショッピング・モールでウィンドウ・ショッピングをする末娘のサラを見つめるフォガティの冷たい眼差しにクローネンバーグの手癖が滲む。息子の反乱に対し、「暴力で物事を解決するな」と一蹴した父親の理性的な目論見は絵空事となるとも知らずに。

 これまでのクローネンバーグのフィルモグラフィに通底するモチーフ、デジタルとアナログ、現実とバーチャル、強いセクシュアリティと暴力性は今作でも理性的な人間として暮らすトム・ストールを徐々に獣に連れ戻す。階段で妻を強姦する夫の行動は倫理の枠を大幅に外れる。殺戮の代償としての因果は4人家族を崩壊へと導き、断ち切り難い血縁を浮び上がらす。抑制したトーンの中に途方も無い葛藤を熱演したヴィゴ・モーテンセンの深い憂鬱、信じていた夫との関係に苦悩するマリア・ベロ、尊敬していた父親の裏の顔を知り失望する長男、まるで自身の79年作『ザ・ブルード/怒りのメタファー』のキャンディを彷彿とさせる無表情なサラの描写と金切り声。暴力の連鎖は際限なく続き一家を苦しめるが、理性的な父親から獣へと変身した主人公の壮絶な決断がただひたすら胸を締め付け、思わず涙腺が緩む。今作はクローネンバーグのキャリアの中で『デッドゾーン』、『クラッシュ』に次ぐ自身3度目の最高到達点であり、40年以上に及ぶあまりにも見事なキャリアで屈指の傑作中の傑作である。

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