【第895回】『コズモポリス』(デヴィッド・クローネンバーグ/2012)


 ニューヨーク市マンハッタンの早朝、髪を切りに行きたいと呟くエリック・パッカー(ロバート・パティンソン)は白いリムジンを背もたれにする。警備隊長のトーヴァル(ケヴィン・デュランド)は今日はプレジデントが来る日だから危険と警告する。エリック・パッカー28歳、資本家マイク・パッカーの息子として巨万の富を動かしていた男は、一夜にしてITバブルの潮目に乗る。その総資産額は数十億にものぼるまさに1%の富を独占する男だった。最高級の白いリムジンは防弾ガラス、アルコール・サービス、ウーファー・サウンド、トイレも完備する住居のような空間だった。早朝、男は同じく巨万の富を動かす投資家と株の話に興じているが、横付けしたタクシーの中に1人の女を目撃する。妻エリーズ・シフリン(サラ・ガドン)とは新婚から僅か半年目だが、『クラッシュ』同様に2人の愛は冷え切っていた。窓際の席で食べるサンドウィッチ、新婚の妻はエリックからのSEXの提案に対し、いつか必ずとお茶を濁している。煮え切らない妻の態度に、エリックは熟女のディディ・ファンチャー(ジュリエット・ビノシュ)に走る。リムジン内でのSEX、42歳の女を好奇心で褒めるエリックの野心、半地下のブック・ストア、「SEXの匂いがする」というエリーズの女の勘、6人の富豪たちと哲学的な話をするエリックは中国元の暴落が読めずに、一夜にして巨万の富を全て失いそうになる。

 全てのノイズや暴力を無効化する白いリムジンは、母親の子宮のメタファーとして主人公を無菌状態で守る。これまでのクローネンバーグ映画の主人公のように、ロバート・パティンソンは蒼白い顔をしながらI-PADの小さなhレームの中の株価の動向に目を光らせ、窓の外の現実の光景を一切見ようとしない。左右に2人の護衛を付け、SEXの時にはブラインドでプライバシーを隠す男の病巣は、毎日定期検診を行うほど過敏に死を恐れている。巨万の富を得た億万長者にとって一番の苦痛は、明日突然に自分が死ぬことでしかない。『イグジステンズ』の中華料理店を真っ先に想起させるテロリストの両手にぶら下がった2匹のネズミの死体、ドクター・イングラムの初めての検診、未来に対するデモ、ガソリンを被り火をつける自殺者、アンドレ・ベトレスク(マチュー・アマルリック)の突然のクリーム・パイ、中国元の暴落による大損に加え、たった24時間以内に起こった様々な出来事と最愛の妻の疑念から、エリックのマインドは徐々に正気を失って行く。前立腺が非対称のエリック、理容室505のアンソニー、髪型すらも非対称なままストリートに再び繰り出した主人公の病巣は運命的なテロに巻き込まれる。1%の富が残りの99%を収奪する現代、欧米への憎悪を募らせるイスラム国のように、格差社会の是正を訴える男の主張は時に大胆な行動に打って出る。ナンシー・バビッチの暗号はグローバリズムの中で唯一の記号化された呪文だが、インターネット上で売り買い出来る投資システムはボーダレスに蠢き、実存を雲散霧消化する。ほとんど動的なアクションがなく、非常に難解な哲学的な物語ながら、今作でクローネンバーグと原作者のドン・デリーロとは、グローバリズムとナショナリズムがぶつかり合う臨界点の軋轢を情け容赦なく晒してみせた。

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